ジャン=ピエール・ヴァキエ
Jean-Pierre Vaquier (イギリス)



ジャン=ピエール・ヴァキエ


ブルー・アンカー・ホテル

 後に「ブルー・アンカー・ホテルの小粋なフランス人」として知られることになる45歳の無線技師、ジャン=ピエール・ヴァキエが英国人の女性、メイベル・ジョーンズと出会ったのは1924年1月、フランス南西部の保養地ビアリッツでのことである。フランス語がからっきしなメイベルの通訳をヴァキエが買って出たことからおつきあいが始まり、やがて男女の関係へと至る。ところが、それは禁断の恋だった。メイベルには夫がいたのだ。ロンドン近郊のバイフリートでブルー・アンカー・ホテルを経営するアルフレッド・ジョーンズがその人である。

 ヴァキエとメイベルの関係は3週間ほど続き、メイベルの帰国と共に幕を下ろす…筈だった。ところが、ヴァキエが彼女を追ってロンドンにまで来てしまう。あら、ダメよ。あたしには夫がいるのよと帰国を促すメイベルだったが、「小粋なフランス人」は帰るどころか、5日後には夫妻が経営するブルー・アンカー・ホテルにチェックイン。
「無線に関する特許を申請しているので、長期滞在になると思います」
 メイベルとのお熱い関係を取り戻すために長期戦の覚悟である。異国での軽い気持ちのアヴァンチュールがとんだ災いを招いてしまった。メイベルとしてはただオロオロとするより他なかった。

 6週間が過ぎた。その間にヴァキエとメイベルとの間でどのようなやりとりがあったのかは定かではない。いずれにしても、ヴァキエは或る計画を着々と練っていたようだ。それは3月29日に決行された。
 前の晩に些か呑み過ぎてしまった主のアルフレッド・ジョーンズは、二日酔いを治そうと、いつものようにホテル内の調理場に向かう。そして、コップの水にひとつまみのブロム塩を入れるとゴクゴクゴクと飲み干した。
「なんだこりゃ!? ひどく苦いな!」
 そう叫ぶや、たちまち具合が悪くなる。直ちに医者が呼ばれたが、主は二度と起き上がらなかった。死因はストリキニーネ中毒だ。そして、調理場から押収されたブロス塩の瓶(何故か空になっていた)からも微量ながらもストリキニーネが検出された。

 真っ先に疑われたのは「小粋なフランス人」だった。彼はもう6週間も逗留しているが、宿代を一銭も払っておらず、そのことで主と揉めているところが目撃されていたのだ。これに対してヴァキエはこのように弁明した。
「もうすぐ私の口座に特許料が振り込まれます。その時に一括で支払うことで合意してくれました」
 そして、新聞記者を相手に「食堂の給仕が怪しい」などと吹聴した。これが命取りになった。「小粋なフランス人」の談話が顔写真と共に報道されるや、ロンドンの或る薬局が警察に届け出たのだ。

「この小粋な男に間違いありません。彼は3週間ほど前に『ワンカー』と名乗り、塩化水銀20グラム、ストリキニーネ0.12グラムを買い求めました。無線の実験に使うとのことでした」

 もはや云い逃れは出来なかった。かくして有罪を評決された「小粋なフランス人」は絞首刑に処された。彼の顔がこれほど「小粋」でなかったら、つまり目立たなければ、あるいは罪を免れたかも知れない。

(2007年8月29日/岸田裁月)


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


BACK