アーサー・ウェイト
にこやかに笑うアーサー・ウェイトは、芸人にでもなっていればよかった男である。その生きざまはチャランポラン。あの横山やすしでももう少しマトモである。しかも、人を笑わす天賦の才能があった。彼が法廷で義父の殺害が如何に大変だったかを身ぶり手ぶりを交えて熱弁した時、陪審員席からは笑いが巻き起こったと伝えられている。
アーサー・ウェイトは１８８７年、ミシガン州グランド・ラピッズに生まれた。父親は裕福な実業家だったが、息子の彼はボンクラ街道一直線。ミシガン州立大学歯学科に進学したものの、人を騙すわ、バイト先で金を盗むわ、カンニングがバレて退学寸前になるわで大騒ぎのカレッジライフだった。成績はもちろん下の下の下である。
それでもどうにか歯科医の資格を取得した彼は、親のコネで就職し、南アフリカのケープタウン支社に嘱託医として配属される。しかし、ここでも治療伝票を偽造して解雇される。給料が歩合制だったが故の犯行だった。
故郷に戻ったウェイトは１９１５年９月、製薬会社を経営する億万長者ジョン・ペックの娘、クララと結婚する。
うまくやりやがったなあ、このボンクラ野郎。
新居をニューヨークの超高級マンションに構えると、ウェイトは早速、細菌学の勉強を始めた。腸チフスやジフテリア、炭疽菌等に関する文献を片っ端から買い求めた。
年が明けて１９１６年１月３０日、まず義母のハンナ・ベックが死んだ。次いで３月１２日、妻の後を追うかのようにジョン・ベックが死んだ。共に死因は「腎不全」と診断された。
このまま何事もなければウェイトはまんまと逃げ果せたかも知れない。ベック家のしきたりではないが、火葬の手筈も整っていた。ところが、これに待ったをかける匿名の電報がベック家に届く。
「ギネンガショウジタ。イタイノカイボウヲヨウキュウサレタシ」
後に判ったのだが、電報の主はベック家とは旧知の女性で、実は彼女は１月の初旬にウェイトが女とホテルにしけこむのを目撃しており、ハンナが死んだ時から疑念を抱いていた。その１ケ月半後にジョンが死んで確信に変わった。ウェイトの仕業に違いない。解剖の結果、確信通りに遺体から砒素が検出されるや、ウェイトは睡眠薬をモグモグと食べて自殺未遂。まったくどこまでボンクラなのだよ、お前さんは。救急病棟のベッドの中で彼が思いついた防衛策はなんと「精神異常のフリをすること」だった。
「何を隠そう、私は古代エジプト人の生まれ変わりなのであります。肉体はこうしてここにおりますが、魂は古代エジプトにいるのです。すべての罪は古代エジプト人の仕業です。殺れよ殺っちゃえよ殺っちまいなよとうるさいのであります」
キチガイを装うウェイトはへらへらへらと笑みを浮かべながら、犯行の一部始終を法廷でこのように語った。
「義母が訪ねて来た最初の日から、私は食事に毒を混入しました。ジフテリアやインフルエンザ等６種類の細菌をブレンドしたものです。やがて義母は具合が悪くなりました。そりゃそうでしょうよ。６種類ですから」
「ところが、義父には効果がありませんでした。そこで鼻炎スプレーに結核菌を混ぜてみましたが、これもやっぱり駄目でした。
おそらく義父は人並み外れて抵抗力が強いのでしょう。そこで彼の寝室にこっそりと塩素ガスを噴射しました。前線での毒ガス兵器と同じ要領です。からだを弱らせて抵抗力を奪っちまえってなわけです。
ところがですよ。これまた効かないんですよ。どんだけ丈夫なんだいお父さま。こうなったらもうこっちも意地ですよ。シーツを湿らせたり、寝室の窓を開けっ放しにしたり、びちょびちょのままドライブに連れ出したりと、そりゃあもう肺炎を起こさせるためにありとあらゆる努力をしました。ところが、元気なんですねえ。ピンピンしてるんですよ。
それでこっちも根負けしましてね、砒素を使うことにしました。これは証拠が残るので使いたくなかったのですが、背に腹は変えられません。
ところが、丈夫なお父さまはなんと、胃痙攣程度で済んじゃった。呆れましたねえ。死なないんだから。もうこうなったら実力行使だってんで、寝ているところをクロロフォルムを嗅がせて、顔に枕を押しつけて窒息死させました。世話のかかる人でした。大の男を殺すのがあんなに大変だとは思ってもみませんでした」
「どうしてこんなことをしたかですって？ もちろん金のためですよ。古代エジプト人は贅沢でねえ、いくら金があっても足りないんですよ。
えっ？ 妻？ もちろん殺す予定でしたよ。ベック家の連中はみな殺しですよ。あは。あっ。ここでは云えませんが、私はもっと殺してます。あはは。他にももっと殺してますって。あはは。あははは。あははははははは」
迫真の演技にも拘わらず、精神異常の申し立ては却下されて有罪を宣告されたボンクラ野郎は、１９１７年５月２４日、電気椅子により処刑された。処刑場へと向う途中もへらへらと笑みを浮かべていたというから、ひょっとしたら本物だったのかも知れない。
ちなみに、処刑後の解剖で、脳に髄膜炎の痕跡が発見されたそうである。
（２００７年３月２３日／岸田裁月）