ウォーレス事件
The Wallace Case (イギリス)



ウィリアム・ウォーレス

 リバプール在住の保険外交員、ウィリアム・ウォーレス(52)はごく平凡な男だった。チェスが得意なほかにはこれといった取り柄がなく、17年間連れ添った妻のジュリアと2人きりでごく平凡な毎日を送っていた。子供はいない。親友と呼べる者もいない。はたから見れば極めて退屈な人物である。そんな彼が、或る日を境に荒波に晒されることとなる。

 1931年1月19日午後7時15分頃、ウォーレスが通うチェス・クラブに1本の電話があった。
「ウォーレスさんはいらっしゃいますか?」
 電話に出たのは会長のサミュエル・ピートだった。
「今日はまだ見えてませんよ。後で掛け直していただけませんか?」
「それが忙しいもので。なにしろ今日は娘の21回目の誕生日なんですよ」
「ほう、それはそれは」
「それでですね、ウォーレスさんに伝言していただきたいのですが」
「はい、承りましょう」
「保険について相談したいことがありますので、明日の夜7時半にメンラブ・ガーデンズ東25番地にまでご足労願います。私がその家の主のR・M・クワルトローです」
「明日の夜7時半、メンラブ・ガーデンズ東25番地、R・M・クワルトローさんですね。はい、かしこまりました」
 ちん。
 間もなく現れたウォーレスには「R・M・クワルトロー」という名に覚えがなかったが、契約が取れそうな塩梅なので行ってみることにした。明晩はチェスが打てないことが残念だったが、仕事仕事。仕事が第一。

 翌日、午後6時頃に帰宅したウォーレスは夕食を摂り、6時45分に家を出た。ジュリアはやや風邪気味だったが、裏の門まで見送りに出た。
「お気をつけていってらっしゃい」
 これがジュリアとの今生の別れとなった。
 ウォーレスは近くの停留所で路面電車に乗り、車掌に訊いた。
「メンラブ・ガーデンズの東に行きたいんだが、どこで乗り換えたらいいんだね?」
「東? 東に停留所はありませんねえ。西にならありますよ。ペニー・レーンで乗り換えて下さい」
 仕方ない。東まで歩くか。余裕を持って出て来てよかった。
 ところが、行けども行けども「東」には辿り着かなかった。気がついたら約束の時間を過ぎていた。本当にあるのかよ「東」。ひょっとしたらピートの聞き間違いかも知れない。念のために「メンラブ・ガーデンズ西25番地」に電話をしてみたが、返答は「クワルトローなんて人は知りません」。途方に暮れたウォーレスは、通りかかった警官に訊ねた。
「メンラブ・ガーデンズの東に行きたいんですが」
「東? 東なんてありませんよ。メンラブ・ガーデンズの北と南と西ならありますが、東はありません」
「えっ? そうなんですか…。ところで、まだ8時じゃありませんよね」
「ええ、15分前です」
 狐につままれたような気分になったウォーレスは、念のために近くの新聞販売店で電話帳を借りた。やはり「東」は存在していなかった。この時、疑り深いウォーレスは販売店の女主人に、配達先の名簿の中に「東」がないかどうか調べてくれと頼んでいる。このことが却って怪しまれる結果となるのだが、それはまた後のおはなし。

 ようやく諦めたウォーレスが自宅に戻ったのは午後8時45分だった。
 居間では妻のジュリアが俯せに倒れていた。床は血の海、頭からは脳漿が飛び散っている。遺体の下にはどういうわけかウォーレスのレインコートが敷かれていた。
 駆けつけた警官たちが気になったのは、ウォーレスが妙に落ち着いていることだった。淡々と室内を調べて、棚に置かれた金庫の中から4ポンドほど盗まれていることを報告した。たった今、妻が殺されたというのに、これほど冷静でいられるだろうか?
 ウォーレスの弁護をすれば、おそらくあまりのショックで茫然自失の状態に陥っていたのだろう。そもそも日頃から感情を露にするような性格でもない。しかし、そのことが彼の容疑を深めてしまった。

 外部から侵入した形跡は見られなかった。つまり、犯人はジュリアが招き入れた者か、もしくはハナから家の中にいた者ということになる。
 午後10時頃から行われた検視の結果、死亡時刻は4時間前、すなわち午後6時頃と推定された。ウォーレスが出かける前である。かくして2週間後の2月2日、ウィリアム・ウォーレスは妻殺しの容疑で逮捕された。

 検察側の主張はこうだ。

「ウォーレスは妻を殺害するために綿密な計画を立てた。まず、前日にクワルトローを名乗ってチェス・クラブに電話をかけた。そして、ありもしない住所を告げて、これを探すことでアリバイを作り上げた。しかし、ウォーレスが家を出た時には既に妻は死んでいたのだ。このことは死亡推定時刻が午後6時であることからも明らかである。遺体の下に彼のレインコートがあったのは、血しぶきを浴びないために彼がこれを着ていたからだ」

 筋は通っているが、この主張はこのままでは通らない。というのも、弁護側の証人として出廷した牛乳配達の少年アラン・クローズ(14)がこのように証言していた。

「ウォーレスさんの家には6時25分頃に配達に行きました。牛乳は奥さんに直接手渡しました。その時、僕が咳をすると、奥さんな親切に『風邪が流行っているから気をつけてね。早く家に帰るのよ』と気遣ってくれました」

 つまり、少なくとも6時25分まではジュリアは生きていたわけであり、死亡推定時刻が誤りであることが証明されたのだ。
 以上のことを前提に、判事は被告に有利な内容の陪審員説示を行った。にも拘らず、評決は有罪。ウォーレスは死刑を宣告されたが、控訴審では弁護側の主張が認められて原審破棄。晴れてウォーレスは無罪放免となったのである。

 しかし、ウォーレスの生活は元通りというわけには行かなかった。職場に復帰したものの内勤を命じられ、心ない誹謗中傷に悩まされた。心身共に疲れ果てたウォーレスは1933年2月26日に腎臓疾患で死亡。無罪判決から2年も経っていなかった。


 さて、ここで問題。じゃじゃん(効果音)。
 ウォーレスは本当に無実だったのか?
 たしかに「メンラブ・ガーデンズ東25番地」を求めてクドいほどに訊ねて回った彼の行動は如何にも怪しい。アリバイ工作だと思われても仕方がない。
 しかし、彼には妻を殺す動機がないのだ。残された日記からも何一つ疚しいことは見つからなかった。私にはウォーレスが犯人だとは思えない。

 では、ウォーレスが犯人ではないとして、真犯人は誰なのか?
 この点、コリン・ウィルソンは著書『殺人の迷宮』の中でその名を明かしている。ゴードン・パリーという前科者である。ウォーレスも彼が犯人であることを疑っていたらしい。
 自動車のセールスマンをしていた彼はウォーレス家を訪問したことがあり、ジュリアから信頼されていた。しかし、ウォーレスは彼のことをよろしく思っていなかった。事実、パリーは窃盗や横領、強制猥褻で何度も逮捕されたことのある前科者で、事件当時は多額の借金を抱えていた。
 そのアリバイは出鱈目で、事件直後、彼の車の中に血まみれの手袋があったことを知人に目撃されている。そのことをもってウィルソンはパリーこそが真犯人だと断じているのだが、些か早計に過ぎる。たしかにパリーは怪しいが、事件と彼を結びつける決定的な証拠はない。
 結局、真相は依然として謎のままという他ないだろう。

(2007年10月12日/岸田裁月)


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『殺人の迷宮』コリン・ウィルソン著(青弓社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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