チャールズ・ホイットマン
Charles Whitman (アメリカ)



チャールズ・ホイットマン


ホイットマンとその妻キャシー

 1966年7月31日午後7時近く、テキサス州オースティン、ジョエル・ストリート906番地の自宅で、チャールズ・ホイットマンはかような手紙をタイプライターで書き綴った。

「どうしてこのような手紙を書いているのか、自分でもよく判らない。自分が最近どうしてこんな行動をとっているのか、その理由を曖昧ながらも書き残しておきたいからかも知れない。
 近頃は自分でも自分のことがよく判らない。道理をわきまえ、知力を備えたごく普通の若者。それが自分に期待されている姿だと思う。ところが、近頃はまともではない不埒な考えが次々と頭に浮かんでは、我が身を苛むようになった。こうした妄想はしつこくつきまとい、よほど気持ちを張りつめないと前向きな仕事に打ち込めない。
 精神科の医師に診てもらった。近頃、恐怖と暴力的な衝動に苛まれていたからだ。酷い頭痛に悩まされることもたびたびだ。私が死んだら、遺体を解剖して、何か精神的な障害があるかどうか調べていただきたい」

 続けて彼は、殺したいほど憎んでいた父親への罵詈雑言を羅列した後、犯行の計画を明らかにする。

「考えに考えた末、妻のキャシーを殺すことにした。今夜、電話会社に迎えに行った後で殺すつもりだ。妻のことはとても愛している。自分にはもったいない女だと思う。どうして彼女を殺すのか、その理由は判らない。単なる我が儘なのか。これからの自分の行動が引き起こす騒ぎに巻き込ませたくないからなのか。それすら判らない。今、最もはっきりしていることは、この世は生きるに値しないこと。そして、愛する妻にはこんな世界で苦労させたくないということだけだ。なるべく苦しませずに死なせてあげよう。そう思っている。
 同じ理由から、母の命も奪わなければならない。可哀想なことに、母は彼女にふさわしい人生を送って来なかった。横暴な夫の犠牲になった、同情すべき女性なのだ」

 ここまで書いたところで、親友のラリー・フィーズとその妻エレインの訪問を受けた。ホイットマンはごく普通に応対した。否。それどころか、このところの彼とは打って変わって、とても穏やか
だった。フィーズ曰く、
「すっかり肩の荷を下ろしているように見えました。なんというか、難問が一つ片付いた。そんな感じでしたね」
「明日の試験は受けないつもりだ」とホイットマンは笑って云った。そして、妻のことを訊かれると、感傷的になった。
「うっとりと夢見るように話すんですよ。『あいつも大変だよな、一日中働いて、それから家に帰って…』。遠い目で彼女を見ているかのようでした」
 やがて話題はベトナム戦争へと移った。ホイットマンは力説した。
「俺には理解できないよ。どうしてこの国の若者があんなところまで行って、縁もゆかりもない者のために死ななければならないのか」
 その通りなのだが、彼に殺された人々のことを思うと理不尽に感じられる。
 やがてフィーズ夫妻が退出すると、ホイットマンはこの言葉で手紙を締めくくった。

「人生は生きるに値しない」

 時刻は午後9時を回り、キャシーを迎えに行く時間になっていた。彼女は高校で生物学の教師をしていたが、家計を助けるために、夏休みの間は電話交換手のアルバイトをしていたのだ。
 帰宅したキャシーが床に就くと、ホイットマンは母マーガレットのアパートへと車を走らせた。翌日の午後に発見された彼女の遺体は、左手の指が折れていた。ドアに挟まれたのだろうか? ホイットマンは辛い仕事をさっさと済ませたかったようだ。胸を刺され、後頭部を撃たれた彼女は即死だった。
 ホイットマンは母の遺体をベッドに乗せてシーツを掛けると、その傍らに手紙を添えた。

「たった今、母を殺したところだ。こんなことをして、とても動転している。だが、天国が実在するのなら、母は今そこにいるに違いないし、よしんば死後の世界がないとしても、少なくとも彼女を現世の苦しみから救ったことにはなると思う」

 彼女は暴力を振るう夫と別居したばかりだった。

「父に対する憎悪の激しさは、とても言葉では尽くせない。母はあの男に、女盛りの25年間を捧げた。あれだけ殴られ、辱められ、蔑まれたのだ。逃げ出すのは当たり前だ。あいつは母を売春婦のように扱った。彼女と寝て、その報酬として僅かな生活費を与えた。彼女を苦しみから解放する道をこれしか見出せなかったのは残念だが、とりあえず最善の方法だったと思っている。自分はこの女性を心から愛してた。そのことは疑わないで欲しい。神が何処かにいるとすれば、こうした諸々を理解した上で、然るべく裁定してもらいたい」

 部屋を出る時、ホイットマンはドアの外側にメモを貼り付けた。
「寝ています。起さないで」
 これで少なくとも、明日の午後までは遺体は発見されない。

 帰宅したホイットマンは、就寝中のキャシーの心臓にナイフを3回突き立てた。即死だった。そして、先程の手紙の続きを、タイプライターではなくボールペンで書き加えた。筆跡は酷く乱れている。

「66年8月1日午前3時。二人とも死んだ。なんとも残忍な殺し方に見えるかと思う。だが、事をすばやくやり遂げようとしただけなんだ。
 自分の生命保険が有効なら、この週末に切った小切手がきちんと支払われるよう手配して欲しい。借金もすべて返済して欲しい。自分は25歳の、経済的に自立した大人なのだから。
 金の残りは、精神医学関係の財団に匿名で寄付してもらいたい。もっと研究が進めば、このような悲劇がこれ以上起こるのを防げるかも知れない。
 我々が飼っている犬は妻の実家に預けてもらいたい。キャシーはショシーをとても愛していたと一言添えて。
 最後にもう一つ、検視解剖の後は火葬にして欲しい」

 ホイットマンはこの後、更に2通の手紙を書いている。1通は父に宛てたもので、その中身はいまだに公表されていない。もう1通は弟のジョンに宛てたもの。ホイットマンは10日ほど前にジョンと共に「テキサス・タワー」に上がり、犯行の下見をしていた。

「ジョニーへ。お前をがっかりさせなくてはならないことを、とても悔やんでいる。兄さんよりもいい人生が送れるよう、努力して欲しい。そんなに難しいことじゃないよ、ジョン。ママもお前のことをとても愛していた。兄、チャーリーより」

 彼の文章は極めて理路整然としている。だからこそ我々の眼には、その犯行が余計に異常に映るのである。



ホイットマンが犯行に用いた銃器


ホイットマンが籠城に備えた生活必需品

 明けて1966年8月1日午前9時、ホイットマンは銃砲店に出向き、中古の30口径カービン1挺と銃弾8箱を購入。現金で支払いを済ませ、店員には「フロリダに狩りに出掛けるつもりだ」と話した。9時30分には別の銃砲店に寄り、銃弾を更に6箱購入。支払いは小切手で済ませた。その際に、
「銀行に問い合わせてみるかい? 不渡りが心配だろ?」
 などと冗談めかして云い、店主を笑わせたが、実はこれははったりだった。彼の口座は空っぽだったのだ。
 その後、シアーズ・ローバックのチェーン店で12口径のショットガン1挺を購入。支払いはカードで済ませた。最後に工具店に立ち寄り、折り畳み式の台車を借りた。今買った銃器を含めた諸々を「テキサス・タワー」にまで運ぶためである。

 帰宅したホイットマンは、ガレージでショットガンの銃床と銃身を切って短くする作業に取りかかった。その姿はチェスター・アリントンという郵便配達人に目撃されている。アリントンはそれが違法であることを知りながら咎めなかった。数時間後に猛烈に悔やむことになる。あの時に通報していれば、あんなに死なずに済んだだろうと。

 午前10時30分、作業を終えたホイットマンは、母マーガレットの勤務先に電話を掛けた。彼女はカフェテリアでレジ係をしていた。
「母は具合が悪いので、今日は休ませて下さい」
 用意周到である。彼がトランクに詰め込んだ品々のリストを見れば、衝動的な犯行ではなかったことが判る。極めて計画的だ。この日に備えてすべてを準備していたのだ。
 まず、銃器類。

 レミントン製ボルトアクション・ライフル
 レミントン製ポンプアクション・ライフル
 30口径カービン
 12口径ショットガン(銃身を切り詰めたのはトランクに収容するため)
 ルガーP08
 ガレシ・ブレシア(イタリア製の拳銃)
 スミス&ウェッソン製マグナム・リボルバー
 加えて様々な銃弾およそ700発

 次に、籠城に備えた生活必需品。

 缶詰(ミートラビオリ、スパム、ウィンナー、パイナップル、フルーツサラダ、ダイエットミルク等)
 瓶入り蜂蜜
 レーズン
 サンドイッチ
 コーヒーの入ったポット
 水筒
 ビタミン剤
 デキセドリン(中枢神経刺激剤)
 エキセドリン(鎮痛剤)
 耳栓
 ガソリン入りのポリ容器
 ライター・オイル
 マッチ
 飯盒
 ロープ
 双眼鏡
 トランジスタ・ラジオ
 トイレット・ペーパー
 ジレット製剃刀
 防臭スプレー
 鉈
 斧
 ハンティング・ナイフ3本

 これらを車に積み込んだホイットマンはいざ戦場へ。向かったのは時計台、通称「テキサス・タワー」が観光名所として知られるテキサス大学だった。



テキサス大学の時計台

 午前11時25分、ホイットマンはテキサス大学本部棟の職員専用駐車場に乗り付けた。その日は雲一つない快晴で、気温は日陰でも37度もあった。台車でトランクを運ぶ彼は、警備員に「研究資材を届けに来た」と説明し、時計台のエレベーターへと向かった。
 受付のヴェラ・パーマーはホイットマンのことを修理工だと勘違いした。業務用エレベーターの前に立つ彼に近づき、声をかけた。
「そのエレベーターは電源が切ってあるのよ」
 彼女が手を伸ばしてスイッチを入れると、ホイットマンは丁寧に礼を云い、こう付け加えた。
「今日はいいことがありそうだ」
 台車を押してエレベーターに乗り込みながら、彼は繰り返し呟いた。今日はいいことがありそうだ…今日はいいことがありそうだ…。そして、27階のボタンを押した。

 エレベーターを降りて、もう1階分の階段を上がると展望台に辿り着く。重いトランクを引きずりながら上がるホイットマンは、受付のエドナ・タウンズリーと出くわした。この中年女性はその日は非番だったのだが、穴が空いたために出勤し、正午には先ほどのヴェラ・パーマーと交替する予定だった。
 ショットガンで彼女の頭蓋骨を粉砕すると、ホイットマンは遺体をソファの後ろに隠した。その直後、1組のカップルが展望台から現れた。ドン・ウォールデンとシェリル・ボッツである。2人が彼に微笑んだので、ホイットマンも微笑み返した。シェリルによれば、それは「とびきりの笑顔」だった。まさか人を殺した直後だとは思いも寄らなかった。彼らはカーペットに黒い染みがあることに気づき、それを踏まないように注意しながら退出した。ホイットマンは何故か彼らを撃たなかった。そのために2人は「オースティンで最も幸運なカップル」と後に報道されることになる。

 2人の姿が見えなくなると、ホイットマンは机を動かして、階段に通じるガラス扉を封鎖した。ところが、いざ出陣という時に邪魔者が入る。M・J・ゲイバーと妻のメアリー、息子のマーク(18)とマイク(15)、加えてゲイバーの妹マーガリート・ランポートと夫のウィリアム、以上の6名が階段を上がって来るではないか。まず撃たれたのは扉をこじ開けたマイクだった。次いでマークとメアリー、マーガリートが被弾した。階段を転がり落ちる家族を前にゲイバーは茫然として立ち尽くす。いったい何が起こったんだ? マイクとマーガリートは即死。残りの2人も血みどろだ。ゲイバーとランポートは助けを求めて走ったが、27階には職員は誰もいなかった。

 午前11時45分、ホイットマンは展望台に出た。地上70メートル、幅2メートルほどの回廊式だ。石灰岩の手すり壁には各面に3ケ所ずつ樋口が設けられており、銃眼として使用できる。つまり、ここからホイットマンは東西南北あらゆる方角の獲物を、姿を見せることなく射止めることができるのだ。これほど理想的な要塞はない。出入口をトランクで塞ぐと、ホイットマンは「狩り」の準備に取りかかった。



展望台から立ち上る硝煙

 最初に標的になったのは、キャンパス内を自転車で新聞配達していたアレック・ヘルナンデス(17)だった。脚を撃たれた彼はその場に崩れ落ちた。次いで3人の学生が続けざまに倒れた。しばらくの間は何が起こったのか、誰にも判らなかった。人が集まり始めると、ホイットマンは此れ見よがしに狙い撃ちにした。
 妊娠8ケ月のクレア・ウィルソン(18)は腹部を撃たれた。彼女は一命を取り留めたが、胎児は助からなかった。彼女を助けようと走り寄ったトーマス・エックマン(19)が、この銃撃の最初の死者となった。

 数学講師のロバート・ボイヤー(33)は近くこの地を去り、リバプールで教職に就くことになっていた。妻と子供たちは一足先に現地に渡っている。再会できる日を楽しみに、昼食を摂ろうと外に出た途端に背中を撃たれた。二度と妻子に会うことはなかった。

 イラン派遣を間近に控えた平和部隊訓練生、トーマス・アシュトン(22)はコンピューター・センターの屋上をぶらついていた。やはり彼もホイットマンの格好の標的となり、帰らぬ人となった。

 警察に事件の第一報が入ったのは午前11時52分だった。
「何者かがテキサス・タワーから狙撃している! 何人も倒れている! キャンパスはさながら戦場のようだ!」
 立て続けに何件もの通報が入った。信じられないことだが本当のようだ。警察は可能な限りの警官を現場に急行させた。
 真っ先に駆けつけたのは、付近をパトロールしていたビリー・スピード巡査(23)だった。彼は柱の間に身を潜めて様子を窺っていたが、ホイットマンは見逃さなかった。僅か15センチの柱の隙間に狙いを定めて、巡査に致命傷を負わせたのだ。
 ここで思い出されるのが、スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』である。海兵隊の鬼教官が訓練生に云った言葉だ。
「チャールズ・ホイットマンを知ってるか? テキサス・タワーから狙撃して12人の命を奪った。距離は400ヤードだ。奴はどこでそんな腕を磨いたと思う? もちろん、この海兵隊だ!」
 ホイットマンは海兵隊が自慢するほどの射撃の名手だったのだ。

 ホイットマンの標的はキャンパス内に留まらなかった。電気修理工のロイ・シュミット(29)は騒ぎを聞きつけ、様子を見ようとトラックから降りるや否や、胸を撃たれた。

 プール監視員のポール・ソンターグ(18)は給料を受け取ったばかりだった。ガールフレンドのクローディア・ラット(18)と並んで、浮き浮きしながらキャンパス脇の遊歩道を歩いていた。まず撃たれたのはクローディアだった。突然、胸を押さえて崩れ落ちたのだ。おい、どうした、大丈夫かと身を屈めたところでポールも撃たれた。2人は重なり合って絶命した。

 ミシガン州の公立学校で教鞭を執るハリー・ウォルチャック(38)は、午前中は大学図書館で調べものをしていた。一仕事終えて近所の新聞売場で立ち読みしていたところを標的にされた。

 4年生のトーマス・カー(24)はスペイン語の試験を終えて帰宅する途中だった。昨夜はほとんど寝ていない。やれやれ、これでぐっすり眠れると思った矢先に凶弾に倒れ、永遠の眠りについた。

 17歳のカレン・グリフィスは、病院に運ばれた時はまだ息があった。しかし、胸の傷は思いのほか酷く、1週間後に帰らぬ人となった。

 時計台からの銃撃による死者は10人、胎児も入れれば11人に及んだ。負傷者は実に30人。前代未聞の大事件だ。
 この間、警察も手を拱いて見ていたわけではない。100名を越える武装警官や市民ボランティアが応戦していた。しかし、先ほど指摘した通り、テキサス・タワーは要塞として完璧だった。ホイットマンは樋口から撃ってくるで、下からは彼に狙いがつけられないのだ。否、それどころか、この時点ではまだ狙撃者は単独なのか、はたまた複数なのかさえも判っていなかった。或る警官は語る。
「どの樋口の裏にも敵が潜んでいるように思えた。単独犯どころか、武装部隊が立て籠っているように感じられたんだ。とにかく、怖くて堪らなかった」

 地上から仕留めるのは不可能と判断した司令部は、軽飛行機をチャーターして、上空からの攻撃を試みた。しかし、灼けついた地面から立ち上る熱波のために機体の揺れが激しく、なかなか狙いをつけることが出来ない。しかも、ホイットマンは絶え間なく撃ってくる。うち2発を機体に命中させた。このままでは大事故になりかねないと、上空からの攻撃は断念された。
 しかし、この試みはまったく無益だったわけではない。狙撃者は1人であることが確認できたし、彼の注意を地上から逸らし、警官が時計台に忍び込む時間を稼ぐことが出来たからだ。

 時計台に忍び込んだのはラミロ・マルティネス、ヒューストン・マッコイ、ジェリー・デイの3名だった。それぞれが別々に侵入し、1階ロビーで合流した。すると、大学生協に勤めるアレン・クラムが仲間に加えて欲しいと申し出た。実戦経験はないが空軍にいたことがあるという。この際、人手は多いに越したことはない。同行を許可すると、4人はエレベーターで展望台へと向かった。
 用心のために1階下の26階で降りた4人は、そこで取り乱したM・J・ゲイバーに出くわした。
「家族が撃たれた! 家族が撃たれた!」
 狂ったように喚いている。
「そのライフルをよこせ! 俺があいつを殺してやる!」
 マルティネスはマッコイとデイに眼で合図した。2人がゲイバーを押さえつけると、マルティネスは一気に階段を駆け上がろうとした。その時、クラムが叫んだ。
「一人で行っちゃ駄目だ! 俺も行く!」
 マルティネスは頷き、ライフルを彼に手渡した。

 階段を上がり、血みどろの遺体に眉を顰めつつ、ガラス扉をこじ開けると、そこにもまた遺体があった。畜生め。どれだけ殺せば気が済むんだ。展望台へと通じる扉をゆっくりと開けて様子を窺う。銃声は反対側から聞こえてくる。つまり、奴さんは裏の北面にいるわけだ。
 マルティネスとクラムは二手に分かれて挟み撃ちにすることにした。クラムが角を曲がったところで足音が聞こえた。時計台から欠け落ちた破片をバリバリと踏みつける音だ。慌てたクラムはここで引き金を引いてしまう。
 一方、マルティネスと、後から駆けつけたマッコイも角を曲がり、ゆっくりと北面に向かっていた。ラジオが事件のニュースを伝えている。と、その時、銃声が響き渡る。クラムのライフルが放ったものだ。マルティネスが北面を覗き込むと、狙撃者が片膝をつき、銃声がした方向を凝視している。マルティネスは間髪入れずにレボルバーの引き金を引いた。弾倉が空になるまで引き続けた。これをマッコイがショットガンで援護する。白いヘッドバンドが赤く染まり、狙撃者はその場に崩れ落ちた。
 午後1時24分、チャールズ・ホイットマンは死亡した。最初の銃撃から96分が経過していた。

 まもなく狙撃者の素性が明らかになると、ホイットマンを知る者は我が耳を疑った。
「あのチャーリーがなんでまた…」
 ホイットマンはそれほどに犯罪とは無縁のナイスボーイだったのだ。いったい何が彼を凶行に駆り立てたのだろうか?



ホイットマン一家

 本名チャールズ・ジョセフ・ホイットマンは1941年6月24日、チャールズ・アドルフ・ホイットマンとマーガレットの第一子として生まれた。8回の引っ越しを経て、1947年初夏にフロリダ州レイクワースに落ち着く。その頃からピアノを習っていた彼はかなりの腕前だったという。11歳でボーイスカウトに入り、翌年には世界最年少のイーグルスカウトに昇格。高校は72人中7番の成績で卒業している。端からは非の打ち所のない人生に思える。
 ところが、彼の家庭には問題があった。彼自身が既に手紙の中で告白している通り、父親が暴力を振るうのだ。妻のみならず、チャーリーも殴られて育った。彼がピアノを習ったのも、ボーイスカウトや学校で優秀な成績を収めたのも、すべて父親に強制されたからなのだ。孤児院で育ち、裸一貫で配管工としての腕を磨き、今や商工会議所の会長にまで出生した父親は、息子たちに多くを求め過ぎた。彼は新聞のインタビューにこう答えている。

「たしかにしつけには厳しかった。子供には3人とも『サー』をつけて返事させた。別に自分がやったことを後悔していない。尻をひっぱたくのが悪いとは思わない。もっと懲らしめておけばよかったとさえ思っている。息子たちは3人が3人とも、甘やかされて性根が腐ってたんだ。欲しい物は何でも買ってあげたからね。私は金持ちではないが、それでもかなりの稼ぎはあったんだ」

 この人は何かが歪んでいると思うのは私だけではない筈だ。
 ホイットマンに射撃を教えたのは海兵隊ではない。この父親が教えたのだ。父親がスパルタ式で教えたために、彼は射撃の名手になったのである。
 ホイットマンが海兵隊に入ったのも父親が原因だった。18歳の時にしこたま酒を飲んで帰宅した彼は、父親にこっ酷く怒鳴られて、ボコボコにされた上にプールに投げ込まれた。危うく溺死するところだったという。このままでは殺される。そう思った彼はジョージア工科大学に進学する夢を捨てて、海兵隊に志願したのである。

 キューバに配属されたホイットマンは、士官昇進を目指して奨学金制度に応募した。試験で優秀な成績を収めた彼は、テキサス大学への進学が認められ、建築工学を専攻した。ここまでの彼は上り調子だった。
 しかし1962年8月17日、裕福な農家の娘キャシー・ライスナーと結婚したあたりから転落が始まる。大学1年目のその年の成績は惨憺たるもので、学業不振を理由に基地に呼び戻されてしまう。そして1963年の暮れには軍法会議にかけられてしまう。罪状は博打と高利貸し。訴状によれば、ホイットマンは同僚に30ドルを5割の利子で貸した上、返さなければ歯をへし折ってやると脅迫したという。90日間の重労働、30日間の禁固、及び伍長から一兵卒への降格という判決が下された時から、彼は頻繁に日記を書くようになった。彼は己れの内面の変化に気づいていた。

「いい変化なのか悪い変化なのか、これが現実なのか妄想なのか、よく判らないが、とにかく自分はこれまでとは別人のような気がする。原因は自分にあるのだろうか? それとも何か別の環境のせいなのだろうか?」

「軍隊生活はもう耐えられない。キャシーへの愛情と責任感から辛うじて踏みとどまっているが、時々自分が爆発しそうになる」

「頭の中はキャシーのことでいっぱいなのに、二人の将来を真剣に考えようとすると、またしても自分が破裂しそうになる。本当に頭が狂いそうだ」

「まるで心の中に異様なものが巣食っているような、そんな怖さをはっきりと感じる。それが想像の産物なのか、それとも実体のあるものなのかは判らないが、とにかく、異様な不安が自分の中で蠢いている」

 当時の同僚たちはホイットマンの苦悩にまったく気づいていなかった。彼は相変わらず誰からも好かれるナイスガイだった。思うに、彼はそのように振る舞うように育てられていたのではないだろうか。例えどんな苦難にぶち当たろうとも、顔色一つ変えず乗り越えるように教えられたのではないだろうか。そして、乗り越えられない苦難にぶち当たった時、心の何かが壊れてしまったのではないだろうか。
 人に泣きつくことが彼に出来れば、あるいは凶行は防げたのかも知れない。

 1964年12月、除隊を認められたホイットマンは、テキサス大学に戻って学業を再開した。家計を支えるために数多くのアルバイトをこなし、また、ボーイスカウトにも参加した。当時の彼を知る者曰く、

「ボーイスカウトに熱中することで、過ぎ去った少年時代に戻ろうとしたのかも知れません。それは簡単なことでした。彼はいまだに少年のままだったのですから」

 とにかく、上昇志向が強い男だったという。

「彼は清掃夫から身を起こした父親を恥じていました。役所勤めの人間はクズだとさえ云い放ちました。奴らはマトモに働いてないじゃないかと。人間ならもっと主導力を発揮し、多くの功績をなし、世間から認められ、人生を向上していくべきだというわけです」

 しかし、そんな彼の成績は芳しくなかった。講師の一人は語る。

「試験でCを貰った時の彼の落胆ぶりは、それは凄まじいものでした。机を拳で叩きつけ、無言で出て行きました。他人より抜きん出ることに慣れ過ぎていたのでしょう。もっとも、しばらくすると戻って来て、謝罪しましたが」

 かつては優秀な少年も、今ではボンクラに過ぎなかった。覚醒剤の一種、デキセドリンに手を出したのはこの頃からである。彼はこの薬の助けを借りて、夜も休まず勉強し続けた。期末試験時には2週間も不眠不休で持ちこたえたというから呆れてしまう。これではどうにかなって当たり前だ。

 1966年、つまり事件があった年の春学期が終わりに近づいた頃、ホイットマンを煩わせるもう一つの問題が持ち上がった。両親の別居である。彼は母親を引き取るためにフロリダまで車を飛ばした。父親の暴力を恐れて警察を呼び、母親が荷造りする間、自宅前に待機してもらったという。その場は何事もなく収まったが、翌日からは父親からの電話攻撃が始まった。
 やれやれ。
 この点、当の父親はこのように弁明している。

「女房を拝み倒すための電話代が月千ドルにもなったものさ。だが、ちっとも恥ずかしいとは思わない。自分は妻や息子たちを心の底から愛していたし、家族水入らずで幸せに暮らしたかったんだ。チャーリーにもこっちに戻ってくれと頼んだ。それが駄目なら、せめて母さんが帰るよう説得してくれってね。もう二度と手を上げたりしないって約束したんだ。女房はよく出来た女だから、私の本心はちゃんと理解していたよ。家を出る時、女房はこう云ってたんだ。『あなたは私たち家族によくしてくれた。立派すぎる父親だからこそ、こうして別れるのよ。あなたが立派すぎたことが、そもそもの間違いだったの』ってね」

 やはりこの人はどこかが歪んでいる。

 家庭の問題のおかげで時間を奪われたホイットマンは、講師のバートン・ライリーに設計課題の提出期限を延ばして欲しいと頼み込んだ。ライリーは承諾したが、それでも仕上げることが出来なかった。狼狽したホイットマンは夜中にライリーの自宅に押し掛けた。

「書類の束を抱えて入って来るなり、それを床に叩き落としたんです。汗びっしょりでね。思い詰めた様子だったんで、訳を訊くと『これ以上は耐えられない』と。『親父なんかクソ喰らえだ。俺はあいつが憎い。今あのドアから入って来たら、遠慮なく殺してやる』とさえ云いました。しばらく話しているうちに落ち着いたようでしたが、ピアノが眼に入ると『でも、自分の気持ちには逆らえないよ』。こう云うと、ピアノに歩み寄り、普通なら叙情的に奏でる『月光の曲』を叩くように弾き始めたんです。あまりの騒々しさに妻が起きるほどでした」

 父親にピアノを強制されていた頃のことを思い出していたのだろうか。
 間もなくホイットマンは退学の意思を固め、教科書やらなんやらを売り払ってしまった。親友のラリー・フィーズは語る。

「一切合切を投げ捨てようとしていたんだろうね。或る朝、チャーリーの家に行くと、奴はバッグに荷物を詰めていた。何もかももうおさらばだ。大学も、妻も、何もかもだ。そして浮浪者になると云うんだ。自分でも理由は判らないけど、そうしなくちゃ駄目なんだ。そう云っていた。それから両親の別居の話をしたよ。奥さんにはこんな現実は見せたくなかったらしい」

 同じ日の午後、ホイットマンはキャシーに別れを告げた。同席したフィーズはキャシーがしきりに訊ねていたことを憶えている。
「でもチャーリー、どうして? どうしてなの?」
 彼は答えられず、ただ首を振るばかりだった。

 その晩、フィーズから事の次第を聞いたライリーはホイットマンに電話を掛けた。
「馬鹿なことはするな。早まっちゃいかん。私の授業は当分休みたまえ。他の科目の遅れを取り戻したら、また本腰を入れて取り組めばいいんだから」
 意外にもホイットマンは「はい、先生」と素直に答えた。そして、翌日から何事もなかったように学業に専念。おいてけ堀を喰らった一同は狐につままれた思いだが、後から思えば、この時に腹を括ったのかも知れない。

 キャシーの勧めにより精神科の医師に診てもらうも、通院することはなかった。日記にはこうある。
「一度診てもらったきり、あの医者には会っていない。あれ以来、自分は混迷する己の心と一人で戦っているが、一向に効果はなさそうだ」
「お前に俺の心の何が判る」とでも云いたげな文章である。

 事件の前日、ホイットマンは2年前に書いた詩をひっぱり出し、その余白に「自分の心は当時と何も変わっていない」と走り書きしている。

 分別を保つこと、それが一番大変なのだ。
 道を踏み外すことはたやすい。殆ど何の苦労もいらない。
 だが、未来の恩恵に浴するには、分別を保つことが必要だ。
 それはどんな恩恵だろう?
 恩恵は未来から齎されるのか?
 己の問題で他人を煩わせるのは、それが本物の問題だとしても、
 正しいことではない。
 しかしながら、問題を抱えたまま歩くのは、
 導火線に火のついた爆弾を携えているようなもの。
 その火は消すことが出来るだろうか?
 消せたとしたら、それで何が得られるのか?
 得られたものは、果たして手間をかけただけの価値があるのか?
 それにしても、自分の強さを自覚する人間が、
 どうして屈服せねばならないのか?
 取るに足らない、蔑むべき敵に対して、いったいどうして?


 なお、ホイットマンを解剖した検視官は、脳幹上部の白質にクルミ大の腫瘍を発見した。しかし、その評価はまちまちで、犯行との因果関係は認められていない。

(2008年12月8日/岸田裁月) 


参考文献

『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック60(ディアゴスティーニ)
『大量殺人者』タイムライフ編(同朋舎出版)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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