メアリー・ベイトマン
Mary Bateman
a.k.a. The Yorkshire Witch (イギリス)



メアリー・ベイトマンの遺骨

 メアリー・ベイトマンは「ヨークシャーの魔女」の異名で知られているが、魔女裁判で裁かれたわけではない。一般の裁判所で裁かれた正真正銘の殺人者である。

 貧しい農家に生まれ、幼い頃から奉公に出された彼女は、とにかく手癖の悪い娘だったという。 そのために奉公先と転々とし、気がついたら一人前の詐欺師になっていた。如何わしい媚薬や魔除けを販売し、婚期を占ったり、呪いを払う等、さながら魔女のようなことをしていたという。リーズでは知る人ぞ知る存在だったようだ。
 尤も、狡猾な彼女は決して自らを魔女とは名乗らなかった。「ミセス・ムーア」と「ミセス・ブライス」なる架空の魔女をでっち上げて、その仲立ちをするという形でスーパー・ナチュラルな商売をしていたのだ。そうすることで彼女は魔女として断罪されることを免れていたのである。

 1806年、胸の痛みに悩まされていたレベッカ・ペリゴという御婦人が、ベイトマンのことを人づてに知り、藁にもすがる思いで相談した。するとベイトマンは、居もしない「ミセス・ブライス」のご神託を伺った後、
「これは呪いよ! あなた、誰かに呪われているわ!」
 レベッカに命じて1ギニー紙幣4枚と枕を持って来させると、その紙幣を自ら枕の中に縫いつけて、
「これは当座の呪い封じよ」
 縫いつけたのは紙幣ではなく紙切れであることは云うまでもない。ベイトマンはまんまと4ギニー+相談料を掠め取ったのだ。
 その後もベイトマンはなんやかんやと能書きを並べて、高価なお守りを次々に売りつけた。おかげでペリゴ家は破産寸前にまで追い込まれたという。

 この頃には、レベッカの夫、ウィリアムがベイトマンのことを疑い始めていた…って当り前である。破産寸前で、食うや食わずで困っているってえのに、妻の胸の痛みはちっとも治らないのだから。潮時を悟ったベイトマンは、最後に特別製の「霊薬」をレベッカに手渡し、その日から6日間、プディングに混ぜて食べることを勧めた。
「これが駄目だったら、もう手立てはない、とミセス・ブライスはおっしゃっているわ」
 ラストチャンスと聞かされては食べないわけにはいかない。夫のウィリアムも渋々ながらも口にするが、一口するなり2人ともエロエロエロと吐き出してしまった。それでもレベッカは無理をして食べ続け、9日後の5月24日に死亡した。

 やがてウィリアムの届け出により逮捕されたベイトマンは、その場でエロエロエロと吐き出し、胃痛を訴えて、ウィリアムに毒を盛られたと主張した。つまり、レベッカの死の責任を夫に押っ被せようとしたわけだ。ところが、間もなく彼女の家から砒素やら水銀やらの様々な毒物が発見されて、いずれが嘘つきであるかが判明した次第である。

 かくして「ヨークシャーの魔女」ことインチキおばさん、メアリー・ベイトマンはレベッカ・ペリゴ殺しで有罪となり、1809年3月20日に絞首刑に処された。その姿を一目見ようと集まって来た野次馬は、魔女の呪いを恐れていたのか、不思議といつもよりも静かだったという。
 なお、彼女の遺体は皮膚を剥がれた状態で公衆に晒されて、その皮膚は魔除けのお守りとして販売されたという。遺骨は今日もなお、リーズのサックレイ医学博物館に展示されている。

(2009年6月14日/岸田裁月) 


参考資料

『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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