アンドリュー・ブルックス
Andrew Brooks Jr. (アメリカ)



籠城するアンドリュー・ブルックス

 1991年10月13日、ニューヨーク市クイーンズ区の住宅街、リトル・ネックでの出来事である。或る家の玄関から血みどろの男がよろめき出たかと思うと、道行く人々に助けを求めた。そして、間もなく意識を失った。
 現場に急行した警察は件の家を捜索し、以下の遺体を発見した。

 アンドリュー・ブルックス・シニア(75・この家の主人)
 ブライアン・ダッカー(29・隣人)
 ダニエル・ガントヴニック(ダッカーの友人)
 マイケル・ザラビー(同上)

 ブルックスとダッカーは裏庭の物置で、ガントヴニックは居間で、ザラビーはキッチンでそれぞれ発見された。いずれも22口径のライフルで撃たれていた。ブルックスの妻のマリオンと、息子のアンドリュー・ブルックス・ジュニア(47)の姿は見当たらなかった。

 アンドリュー・ブルックス・ジュニアは界隈では「変人」として知られる人物だった。定職はなく、ポルノビデオの海賊版を売り歩くことで小銭を稼いでいた。覗きの常習犯で、他人の庭に勝手に上がり込んではゴルフの練習をしていたという。その酷い体臭ゆえに「ステンチ(Stench)」と呼ばれていた。彼の父親は「満月の夜には息子に近づくな」と知人に警告していたというから、こりゃ本物のキ印だ。彼の犯行と見て間違いないだろう。

 やがて隣町のレイク・サクセスで通報があった。或る老医師の家を訪問したところ、何者かに銃撃されたというのだ。つまり、ブルックスが老医師とその妻を人質に取って立て籠っていたのである。
 武装警官が十重二十重と取り囲む中、ブルックスは交渉に応じて心臓疾患がある老医師を解放した。その数時間後、妻が自力で脱出した。ブルックスがうたた寝をした隙に逃げ出したのだ。
 翌日、SWATチームが家の中に押し入ると、ブルックスは既に自殺していた。寝室で頭を撃ち抜いていたのである。

 マリオン・ブルックス(73)の遺体が発見されたのは10月21日のことだった。遺体は地下室の穴の中に遺棄されていた。穴が鉄板で塞がれて、その上に古タイヤが置かれていたために、誰も気づかなかったのだ。
 しかし、それにしてもブルックスの犯行はいったい何だったのか? 当人が死んでしまっている以上、その謎が解決されることはないだろう。

(2011年1月19日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
http://www.highbeam.com/doc/1P2-7681505.html
http://www.nytimes.com/1991/10/14/nyregion/a-troubled-neighborhood-eccentric.html


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