デヴィッド・ブロック
David Bullock (アメリカ)



 デヴィッド・ブロックは1960年11月13日、ニューヨークの貧しい家庭で生まれた。幼い頃から手癖が悪く、繰り返し警察のお世話になっていた。初めて手錠をはめられたのは1977年2月、16歳の時である。以来、3度ほど年少と娑婆を行き来している。そして、20歳になる頃には窃盗を繰り返す傍らで、街角に立って売春をするようになっていた。

 ブロックが初めて人を殺めたのは1981年12月4日のことである。ジェイムス・ウェバー(42)という舞台俳優をセントラル・パークの林の中に連れ込み、38口径のリボルバーで射殺したのだ。
 ウェバーの車は現場付近の路上で、キーはつけたまま、ドアは開けたまま、ライトも点けたままの状態で放置されていた。おそらく、ブロックは帰宅途中のウェバーを制止して、銃で脅して林の中に連れ込んだのだろう。犯行の動機は物盗りだった。

 次の犠牲者はエドウィナ・アトキンスという売春婦だった。9日後の12月13日、ブロックは彼女のアパートで性行為をした後、寝物語に先の殺人を恰も武勇伝の如く自慢した。すると彼女は嘲笑って云った。
「馬鹿云ってんじゃないわよ。あんたみたいな男にそんな大それたこと出来るわけないでしょ」
 これにカッとしたブロックは、枕を彼女の顔に押しつけて、その上からリボルバーを発砲した。立ち去る際には部屋に火を放っている。

 2日後の12月15日にはスティーヴン・ハッセル(29)を殺害した。彼はブロックの「客」だった。方法はエドウィナ・アトキンスと同じである。性行為の後、枕を彼の顔に押しつけて、その上から発砲したのだ。動機は特にない。強いて云えば、
「楽しかったから」
(It was something to amuse myself.)
 殺しの味をしめたということなのか?

 8日後の12月23日に殺害されたマイケル・ウィンリーはブロックの同棲相手だった。彼は頭を撃たれた後、ハーレム川に遺棄されたという。しかし、遺体は遂に見つからなかった。

 2日後の12月25日にはヘリベート・モラレス(50)が犠牲になった。彼もまたブロックの「客」だった。その動機は無茶苦茶だ。
「奴はクリスマスツリーをさわりながら俺に云うんだ。素敵だろって。だから奴を撃ったんだ」
(He started messing with the Christmas tree, telling me how nice the Christmas tree was. So I shot him.)
 なんでやねん、と一応ツッコミを入れさせて頂く。なお、このたびもブロックは立ち去る際には部屋に火を放っている。

 年が明けて1982年1月4日、ブロックは最後の犠牲者たるエリック・フラー(28)をマウント・モリス・パークの林の中で殺害した。このたびの動機は物盗りだった。新年会ではしゃぎ過ぎてしまった為に現金が必要だったのだ。

 数日後、デヴィッド・ブロックは逮捕された。そして、6件の殺人を認め、殺しを楽しんでいたことを告白した。終身刑を宣告した判事は、このように付言している。
「生きている限り、あなたが刑務所の外に出ることはありません」

(2011年5月11日/岸田裁月) 


参考資料

http://www.francesfarmersrevenge.com/stuff/serialkillers/bullock.htm
http://www.documentingreality.com/forum/f227/david-bullock-8879/
http://www.users.on.net/~bundy23/wwom/serial.htm


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