カンポ・デルガド
Campo Elias Delgado (コロンビア)



カンポ・デルガド


犯行現場のイタリアン・レストラン

 カンポ・デルガドは1934年5月14日、ベネズエラとの国境付近の町、チナコタで生まれた。1970年から志願してベトナム戦争に参加。帰還後はボゴタで英語の家庭教師として生計を立てていたが、ベトナム戦争での経験が彼の心を歪めてしまったようだ。気難しくなり、憂鬱に悩まされ続けた。そして、同居する母親を理由もなく憎み始めた。このように知人に打ち明けていたという。

「困ったことに、母を愛していないんだ」
(I have a problem. I don`t love my mother.)

 それでも1986年12月4日までは何事もなく暮らしていた。デルガドの内なる狂気が爆発したのはその日の午後のことだ。教え子のクラウディア・リンコン(15)とその母親をハンティングナイフで滅多刺しにしたのだ。
 その後、デルガドは自宅アパートに取って返し、憎き母親を刺し殺した後、新聞紙で遺体を包んで火を放った。そして、アパート内を叫んで回った。
「火事だ! 火事だ!」
 慌てて逃げる隣人たち。デルガドはうちの6人をリボルバーで射殺した。

 事件はこれで終わらない。むしろ、まだまだ序盤である。
 たっぷりの銃弾をブリーフケースに入れて携えていたデルガドは、その足で『ポゼット』というイタリアン・レストランへと向かった。安くて旨いことで知られる人気レストランだ。入店したのは午後7時30分頃。デルガドは来たるべき大殺戮に備えて腹ごしらえをすることにした。あるいは「最後の晩餐」のつもりだったのかも知れない。注文したのはスパゲッティ・ボロネーゼと赤ワイン。これをペロリと平らげて、ラストオーダーのウォッカ・トニックを飲み終えてから21人の客を殺害した。一人ずつ丁寧に額を撃ち抜いていたという。そして、10分後に到着した警官隊に射殺された。かくしてデルガドの狼藉は幕を閉じたのである。その動機はいったい何だったのか、さっぱり判らないまま筆を置かなければならない。

(2010年2月25日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
http://en.wikipedia.org/wiki/Campo_Elias_Delgado


BACK