ブリジット・ダーガン
Bridget Durgan (アメリカ)


 

 アイルランド生まれのブリジット・ダーガン(22)は物静かで目立たない女だった。アメリカに渡った後は女中として渡り歩いていたが、かつての雇い主は彼女のことを殆ど憶えていない。それほどに目立たない控え目な女が、どうしてあんなにも大それたことを仕出かしたのか? その動機は依然として謎に包まれている。

 1866年の事件当時、ブリジットはニュージャージー州のコリエル夫妻の下で働いていた。彼女は満足していたが、夫妻は満足してはいなかった。というのも、ブリジットは癲癇持ちで、たまに発作を起すため、2歳の娘の世話を任せるのは心配だったのだ。また、生理痛が酷く、月のうちの何日かは使いものにならなかった。解雇されたのも無理からぬことである。そんな折りに事件は起きた。それは彼女がコリエル家から追い出される前日の、寒い雪の夜のことだった。

 その夜、隣人夫妻は玄関の扉を激しく叩く音で起された。はて、今時分に何奴と扉を開けたところ、そこには幼児を抱いたブリジットが裸足のままで立っていた。そして、かく捲し立てたのである。
「2人の男が押し入って暴れてます! コリエル夫人の身が心配です!」
 なぬ? それは一大事。隣人は銃で武装して、コリエル家へと向かった。屋内は荒らされ、煙が充満している。さては火を放ったか。2階に駆け上がると案の定、ベッドの上でランプが燃えている。その横には血だまりがあった。メアリー・エレン・コリエルは既に息絶えていた。
 彼女は顔を酷く殴られ、頭髪は一掴み引き抜かれていた。胸や背中はナイフで滅多刺しだ。惨いことをする輩がいるものだ。近隣住民は震え上がった。

 ブリジットの証言によれば、2人の男は午後7時半頃、主たるコリエル医師を訪ねて来たという。ところが、その晩は彼は仕事で留守だった。男たちは一旦は引き返したものの、3時間後に再び現れた。その時、夫人は夫が帰宅したものと思い込み、うっかりして裏口を開けてしまった。途端に男たちが押し入り、夫人に暴力を振るい始めた。慌てたブリジットは娘を抱きかかえると、外に逃げ出し、隣家に助けを求めた…。
 この供述にはいくつもの矛盾点がある。
 コリエル医師は裏口から帰宅したことは一度もない。故に夫人が夫と間違える筈がない。
 また、その日は雪が積もっていたことを思い出して頂きたい。雪の上には2人の男の足跡など残されていなかった。
 更に、隣人の1人は騒ぎを聞きつけていたが、それはブリジットが証言した時刻よりも早かった。
 助けに向かった隣人は、ブリジットの衣服に血が付着していたことを憶えていた。ところが、事情聴取が始まる頃には彼女はちゃっかり着替えていた。
 凶器の肉切り包丁は間もなく庭先で発見された。もし、本当に賊が押し入ったのならば、凶器をわざわざ庭先に隠すだろうか?

 ブリジットの犯行であることは間違いないだろう。問題はその動機だ。いつも控え目な彼女がどうして残虐な犯行に及ばなければならなかったのか?
 解雇されたことが引き金となったことは確かだ。ひょっとしたら夫人を殺害することで、女手を失ったコリエル医師に引き続き雇ってもらおうとしたのかも知れない。
 それとも、本来は激しい気性だったのか? 雪の日に追い出されることへの怒りが爆発した結果の犯行だったのか?

 ブリジット・ダーガンは犯行を否認したまま、1867年8月30日に縛り首になった。故に動機は謎のままだ。

(2009年6月16日/岸田裁月) 


参考資料

『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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