デヴィッド・グレイ
David Malcolm Gray (ニュージーランド)



デヴィッド・グレイ

 1990年11月13日、ニュージーランド南島のダニーデンから25kmほど離れた小さな町、アラモアナでの出来事である。
 まずはGoogleマップで以下の住所を検索して頂きたい。
「Aramoana, the South Island, New Zealand」
 本当に小さな町である。事件当時の人口は70人ほどだったという。まさかこんなに小さな町で、ニュージーランド史上最悪の大量殺人(死者13人)が起ころうとは…。誰もが思いも寄らなかったことだろう。

 その日の午後7時30分頃、帰宅したギャリー・ホールデン(38)は隣人のデヴィッド・グレイ(33)に怒鳴りつけられた。
「あんたの娘がうちの庭をうろちょろする。迷惑だ。もう二度とさせるな!」
「まあ、子供のすることですから、大目に見てあげて下さいよ」
 これにカッとしたグレイは、家に戻るやライフルを手に取り、ホールデンに目掛けて発砲した。即死だった。
 その後、グレイはホールデンの家に押し入り、娘のチキータ(9)にも発砲した。左腕を負傷した彼女は、勝手口から外に逃げ出し、近所のジュリー・ブライソンに助けを求めた。
「隣りのおじさんに撃たれたの。お父さんも撃たれたわ」
 ジュリーは警察に通報すると、チキータを車に乗せて現場へと向かった。家の中にはチキータの姉のジャスミン(11)とジュリーの娘のレワ(11)が取り残されていたからである。
 やがてジュリーは愕然とした。あろうことか、ホールデンの家から火の手が上がっていたのである。つまり、グレイは家の中に身を隠す少女たちを焼き殺すために火を放ったのだ。まさに鬼畜の所業である。
 間もなく騒ぎを聞きつけた隣人たちが集まり始めた。グレイは彼らに向けて手当たり次第に発砲した。

 ロス・パーシー(42)
 ヴァネッサ・パーシー(26・ロスの妻)
 ディオン・パーシー(6・ロスの息子)

 ロス・パーシーの娘、ステイシー(4)も被弾したが、彼女は幸いにも一命を取り留めている。

 レオ・ウィルソン(6)
 アレキ・タリ(41)

 グレイの狼藉はこれに留まらなかった。隣人たちが逃げ出すと、更なる獲物を求めて人間狩りを始めたのである。周辺の家々に押し入ると、以下の者を射殺したのだ。

 ティム・ジェイミソン(69)
 ヴィクター・クリンプ(71)
 ジェイムス・ディクソン(45)
 クリス・コール(62)

 やがて2人の警官と消防隊がアラモアナに到着した。しかし、血に飢えたガンマンが潜んでいるために消防活動にあたれない。スチュワート・ガスリー巡査部長(41)とラッセル・アンダーソン巡査は二手に別れてグレイを探すことにした。
 グレイを見つけたのはガスリーだった。彼は叫んだ。
「ライフルを捨てろ! さもないと撃つぞ!」
 グレイは手を挙げて叫んだ。
「撃たないでくれ!」
 ガスリーは些か軽率だった。グレイは手を挙げてはいたが、ライフルは捨てていなかったのだ。ガスリーが拳銃を降ろして近づくと、グレイはライフルを降ろして発砲した。

 銃マニアのグレイは照準器付きのライフルをいくつも所有していた。事態の深刻さを慮った地元警察はテロ対策向けの特別チームに協力を要請した。彼らは夜が明けるのを待って一軒一軒捜索し、遂にグレイが潜伏している家を突き止めた。催涙弾が撃ち込まれたのは11月14日の午後5時50分のことだ。家から飛び出したグレイは叫んだ。
「殺せ! さあ、殺せよ!」
 その刹那、5発の銃弾が彼を貫き、その望み通りに死亡した。動機については、当人が死んじまっているので何も判っていない。

(2011年1月18日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
http://en.wikipedia.org/wiki/Aramoana_massacre
http://www.crime.co.nz/c-files.aspx?ID=7


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