ワネタ・ホイト
Waneta Hoyt (アメリカ)



ワネタ・ホイト

 1994年3月、ニューヨーク州シラキュース在住の主婦、ワネタ・ホイト(47)は、1965年から1971年にかけて5人の我が子を殺害した容疑で逮捕された。

 1965年 1月26日 エリック・ホイト(生後3ケ月)
 1968年 9月 5日 ジュリー・ホイト(生後1ケ月半)
       9月26日 ジェイムス・ホイト(生後2年3ケ月)
 1970年 6月 5日 モリー・ホイト(生後2ケ月半)
 1971年 7月28日 ノア・ホイト(生後2ケ月半)

 子供たちの死因はいずれも乳幼児突然死症候群(SIDS)と診断されていた。しかし、何でまた23年も経った1994年になって逮捕されるに至ったのだろうか?
 実は事件当時から乳児の相次ぐ死亡は近隣で不審がられていた。特に1968年は異常である。生まれたばかりの長女が死亡した直後に2歳の次男が死亡している。確率的にはありえない。だが、嘆き悲しむ母親を前にしては誰も告発など出来なかったのである。

 事件がクローズアップされたのは1985年になってからだ。「親による子殺し」の事例について調査をしていた検事のウィリアム・フィッツパトリックは、法医学者のリンダ・ノートンにこのように訊ねられた。
「シラキュースには連続殺人犯がいることを御存知ですか?」
「いいえ」と答えると、1972年10月に発行された『Pediatrics』という医学雑誌を手渡された。アルフレッド・スタインシュナイダーという医師によるSIDSの深刻な症例についての論文が掲載されている。6年間に5人も死亡した「Hさん」に関する論文だ。ノートン博士曰く、
「この頻度は異常です。しかも、子供たちが死亡した時、近くには母親しかいませんでした。私には母親が殺したとしか思えません」
 しかし、その時にはフィッツパトリックは「Hさん」を訴追することは出来なかった。間もなく検事としての職を解かれてしまったからである(アメリカでは検事は公選制である)。

 フィッツパトリックが検事に再任したのは1992年のことである。「Hさん」のことが気になっていた彼は調査を始め、やがて「Hさん」がワネタ・ホイトであることを突き止めた。彼女の子供たちの死亡診断書を眼にした法医学者は一様に云った。
「皆がSIDSというのはありえないね。皆が健康だったんだから」

 1994年3月、ワネタ・ホイトは任意取調べに応じ、間もなく犯行を自供した。
「エリックは居間で殺しました。いつも泣いていたので、黙らせたかったんです。次にジュリーを殺しました。泣いているジュリーの口を肩で押さえつけました。ジェイムスもうるさかった。いつも『マミー、マミー』と寄って来る。私はタオルでジェイムスの口を塞ぎました。モリーは枕だったと思います」
 そして、このように付け加えた。
「死なせたかったわけではないんです。黙って欲しかっただけなんです」

 ワネタ・ホイトは法廷では一転して無罪を主張したが、5件の殺人で有罪となり、75年の刑が云い渡された。そして、1998年8月13日に膵臓癌で死亡した。
 なお、彼女については「代理ミュンヒハウゼン症候群」であったことが疑われている。

(2011年4月20日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Waneta_Hoyt
http://www.crimezzz.net/serialkillers/H/HOYT_waneta.php
http://www.trutv.com/library/crime/criminal_mind/psychology/widows/6.html
http://www.people.com/people/archive/article/0,,20101784,00.html


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