ウィリアム・ヒューズ
William Thomas Hughes (イギリス)



ウィリアム・ヒューズ


殺害現場

 海外の都市伝説には「脱走した囚人が一家皆殺し」というのが結構ある。それを地で行くのが本件である。このような事件が現実に起きていることから、都市伝説も信憑性を帯びるのだろう。

 1977年1月12日、レスター刑務所からチェスターフィールドの裁判所への護送中に、強姦事件の容疑者ウィリアム・ヒューズが脱走した。トイレ休憩のためにサービスエリアで停車した折りに、どう工面したのか、ナイフで刑務官に切りつけて手錠を外させて、車を奪ってトンズラしたのである。

 イーストムーアに辿り着いたヒューズは、ミントン家に押し入り、一家5人を縛り上げた。

 アーサー・ミントン(74)
 エイミー・ミントン(70・妻)
 ジル・モラン(年齢不明・娘)
 リチャード・モラン(40・婿)
 サラ・モラン(10・孫)

 ヒューズがアクションを起したのは2日後のことだ。路面が凍りついていたので、ミントンの車を引っ張り出すのを隣人に手伝わせるためにジルを使いにやったのだ。ジルはもちろん口止めされていたわけだが、生きるか死ぬかの時に約束を守る者などいない。彼女は小声でこう告げた。
「警察を呼んで。男が家族を縛り上げているの」
 これを受けて隣人は、裏の農場に車を取りに行くと見せかけて、警察に通報した。
 いつまで経っても隣人が手助けに来ないことから、通報されたことを悟ったヒューズは、ごり押しで車を車庫から出すと、ジルを人質にして逃走。間もなく現れたパトロールカーとカーチェイスを繰り広げた。やがてヒューズの車が壁に激突。目撃者によれば、
「野郎は人質の喉にナイフをあてて、警官に車をよこせと要求していた。すると3人の警官が背後から近づいて飛びかかったんだ。銃声が7、8回響き渡った。野郎は頭から血を流して、その場に崩れ落ちた」

 一方、ミントン家に踏み込んだ警官は、残りの4人の遺体に祈りを捧げていた。いずれも無惨に喉を掻き切られていたのだ。

(2009年3月11日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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