ウィリアム・ジョーンズ
William Jones (イギリス)



当時の新聞に掲載されたイラスト

 1910年5月22日夜、イングランド北東部の港湾都市、サンダーランドでの出来事である。帰宅途中のハッチンソン氏は一人の男が路上に倒れているのを発見した。彼は近づいて訊ねた。
「いったいどうしたんですか!?」
 すると、男はうめき声をあげながら、目の前の家を指差した。ハッチンソン氏は恐る恐る中を覗いて仰天した。部屋中が血の海だったのである。

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 母親のスザンナは頭部を鈍器で滅多打ちにされていた。子供たちはいずれもベッドの中で喉を掻き切られていた。
 外に倒れていた男はこの家の主人たるウィリアム・ジョーンズ(33)だった。彼もまた喉を掻き切られていたが、直ちに病院に運ばれたために命に別状はなかった。
 現場の壁には血でこのように書かれていた。
「復讐は甘美なり(Revenge is sweet.)」
 はて、怨恨による犯行なのだろうか?

 やがて話せるまでに回復したジョーンズを尋問した警察は、彼からこのような供述を引き出した。
「妻は私に対して不誠実でした。だから制裁を下したのです」
 なんだよ、こいつの犯行かよ。自らも喉を掻き切って自殺しようとしたのだが、死に切れなかったのだな。
 だが、妻のスザンナが「不誠実」だったとの聞き込みは一つも得られなかった。むしろ、失業中の夫を支える貞女との評判が高かったのだ。なにしろ彼女は毎日のように子供たちを連れて炭坑に出向き、物乞いをすることで家計をまかなっていたのである。
 乞食ですぞ、乞食。
 乞食をしてまで夫を支えていたというのに「不誠実」と云われては彼女の魂は浮かばれまい。

 結局、貧困ゆえにクルクルパーになったと認定されたウィリアム・ジョーンズは「有罪だが精神異常(Guilty but Insane)」との判決を下されて癲狂院送りとなった。

(2011年1月7日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
http://www.oldsunderland.co.uk/crimes4.htm


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