ボビー・ジョー・ロング
Bobbie Joe Long
a.k.a. The Classified Ad Rapist (アメリカ)



ボビー・ジョー・ロング

 1953年10月14日にウェストバージニア州で生まれた連続殺人犯、ボビー・ジョー・ロングは生まれながらにかなりのハンデを負っている。
 まず、その体質である。クラインフェルター症候群ゆえに思春期以降、乳房が膨らみ始めたのだ。男性としての肉体を保つためには、外科手術を受けなければならなかった。
 次いで、家庭の事情である。幼い頃に両親が離婚し、ボビーは母親の女手一つで育てられた。当然ながら生活は貧しく、アパートは一間。ベッドも一つしかなかった。ベッドが二つに増えたのはボビーが13歳になってからだ。それまでは彼は母親と一緒に寝ていたのである。
 母親はまだ若いわけだから、たまにはボーイフレンドが遊びに来る。そいつも同じベッドで寝る。後は皆まで云わずとも判るだろう。要するに、ボビーは隣りで母親がアウアウ喘ぐさまに耳を塞ぎながら育ったのだ。

 尤も、これまでのハンデはおそらく犯行とは関係がない。重要なのはここからだ。
 とにかくボビー少年はおっちょこちょいだったのだ。「accident-prone」というやつで、年中コケては頭を打っていた。最初の大きな事故は5歳の時、ブランコからコケて、思いっきり頭を打って気絶した。翌年には自転車からコケて頭を打ち、翌年にはポニーからコケて頭を打った。
 最大の事故は結婚後のことだ。バイクからコケて頭を打ち、数週間に渡って生死をさまよったのだ。回復後は性欲がこれまでの2倍、3倍、否、それ以上にボッキーニ。おそらく、頭の中のなんかのネジが狂っちゃったんでしょうなあ。妻がしてくれるのは1日3回まで。仕方がないのでオナニーで補っていたという。

 やがて妻に離縁されて、どうにも堪らなくなったボビーさんはフロリダ州に移り住み、強姦の常習犯になった。手口はこうだ。まず新聞の三行広告欄を読み込み、例えば「不要になった家具売ります」ってな広告を見つけたら電話して、相手が女性だったら駆けつけて犯す…。「三行広告レイピスト」と呼ばれた彼の犠牲者は、1980年からの3年間で50人にも及んだ。

 初めて殺人を犯したのは1983年になってからだ。相手はベトナム人の売春婦だった。行為の最中に絞め殺す快感にボビーは酔い痴れた。そして、のめり込んで行った。どうせ相手は売春婦だ。殺したって誰も文句は云わないだろう…。
 この辺りにボビーの奇妙な倫理観が伺える。彼は売春婦以外は殺めなかったのだ。事実、彼は1984年11月に「殺すつもりで」誘拐し、自宅で強姦した17歳の少女を解放している。理由は彼女が「売春婦ではなかったから」。また、彼女が「父親から虐待されて育った。だからこうして家出した」こともボビーに殺しを躊躇させたようだ。
 彼女を街に解放した後、ボビーは逮捕を覚悟したようだ。2日後に殺し納めをした直後に、少女の通報により逮捕された。1984年11月16日のことである。

 かくしてボビー・ジョー・ロングは9人の売春婦を殺害した容疑で有罪となり、死刑を宣告された。過剰な性欲に悩まされなければ、彼が殺人者になることはなかっただろう。

(2009年12月3日/岸田裁月) 


参考資料

『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bobbie_Joe_Long


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