ペドロ・ロペス
Pedro Lopez (コロンビア・ペルー・エクアドル)
a.k.a. The Monster of the Andes



ペドロ・ロペス

 1980年4月某日、エクアドル中央部の街アンバトでの出来事である。プラザ・ロサ・マーケットで働くカルヴィナ・ポヴェダは、つい先ほどまでそばで遊んでいた娘のマリア(12)の姿が見えなくなっていることに気づいた。辺りを探し回った彼女は、やがてマリアが見知らぬ男と手をつないで歩いているのを見つけた。彼女は走り寄り、大声で助けを求めた。かくして数人のインディオに取り押さえられた男は、警察に引き渡された。
 男の名はペドロ・ロペス(31)。「アンデスの怪物」の異名で知られるこの男は、最終的に300人以上の少女の殺害を認めた。過去3年間に渡って、週2人のペースで殺していたというのだ。にわかには信じられない話だが、どうやら本当らしい。この数はおそらく個人のワールド・レコードだろう。

 ペドロ・ロペスは1948年10月8日、コロンビアの小さな村で、売春婦の7人目の子として生まれた。そして、8歳の時に家から追い出された。幼い妹を性的に虐待したからである。泣きじゃくる彼が家に戻ると、母親は隣町まで連れて行き、そこで改めて捨てたという。
 已むなく道路脇で泣いていたロペスは、親切そうな男に声を掛けられた。面倒を見てあげようと云うのだ。ところが、男は親切とはほど遠かった。廃墟に連れ込むなりロペスを強姦したのである。
「俺の純潔は8歳で奪われてしまった」
 ロペスは語る。
「だから、出来るだけ多くの少女に同じことをしてやろうと誓ったんだ」
 つまり、僅か8歳の時点で彼は魂を悪魔に売り渡したのである。
 その後、しばらくは市場の階段で暮らしていた。見るに見かねたアメリカ人の家族が、彼を孤児院に連れて行く。しかし、ロペスは既に何者も信じられなくなっていた。金を盗んで脱走し、盗みを繰り返しながら各地を転々とした。

 18歳の時に自動車を盗んだかどで逮捕されたロペスは、刑務所での2日目の晩に4人の囚人に強姦された。ロペスは復讐を決意した。2週間かけてナイフを作り、1人づつ誘き出して刺し殺したのだ。4人目には逃げられて悪事が露見し、2年の刑が加算されたわけだが、3人も殺して僅か2年とはこれ如何に。南米では命の値段が安いというが全くである。

 この釈放後、3年に及ぶ一連の殺人行脚が始まった。ロペスが狙ったのは主にインディオの少女だった。警察の関心が低いからだ。つまり、ロペスはインディオ、すなわち先住民への差別ゆえに野放しになっていたのである。
 但し、一度だけドジを踏んだことがある。それはペルー北部で犯行を繰り返していた時のことだった。9歳の少女を連れ去ろうとしているところを見咎められて、インディオの部族にリンチされたのだ。あわや生き埋めというところでアメリカ人の女性宣教師が割って入り、彼らを説得して地元警察に引き渡した。ところが、ペルー警察は彼を裁かなかった。国外追放処分だけで済ませてしまったのだ。

 第3の地、エクアドルに渡ったロペスは、ここでも懲りることなく犯行を繰り返した。
「エクアドルの娘が一番好きだ。親切で礼儀正しく、最も純潔だ。彼女たちはコロンビア人のように人を疑うことを知らないんだ」
 彼はマーケットを練り歩いて獲物を物色した。一旦狙いを定めると、何日でも粘って機会を窺ったという。そして、彼女が1人になるのを確かめると、母親の友人と偽って信用させて、人気のない場所に連れ去り、強姦した後に絞殺するのだ。
「死に行く様を見るのは興奮する。瞳の中の光が消える瞬間が堪らない」
 遺体を埋めて、また次の獲物を物色する。毎日がこれの繰り返しだ。
「夜には決して殺さない。何故なら顔が見えないからだ」

 それぞれの国の警察は、インディオの少女が続々と行方不明になっている事態を認識していた。しかし、それは白人の奴隷売買グループによる犯行だと思われていた。たった1人の犯行だとは思いも寄らなかったのだ。ペルーでロペスが裁かれなかったのはそのためだろう。
 ところが、1980年4月にアンバトを洪水が襲った際、4人の少女の遺体が川の岸辺に流れ着き、ようやく奴隷売買グループの犯行ではないことが発覚したのである。ロペスが逮捕されたのは、その数日後のことだった。

 ロペスは当初は殺人への関与を否定していたが、間もなく罠に掛けられて自供を余儀なくされた。囚人に扮した捜査官がロペスに近づき、その遍歴を聞き出したのだ。
 コロンビアで100人、ペルーで100人、エクアドルでは110人。
 おいおい、マジかよ。こんなに殺した奴、見たことも聞いたことのないよ。
 当初は懐疑的だった警察も、彼が指し示した場所から53人もの遺体が発掘されると信じざるを得なかった。残りの遺体は見つけることが出来なかった。野獣の餌食になっていたり、埋葬された場所に道路や建物が作られていたからである。

 さて、最後にあっと驚くパンチライン。こんなに殺した男でも刑は終身刑に留まったのだ。何故ならエクアドルでは死刑を廃止していたからだ。そして1999年に仮釈放。現在は行方知れずである。
 命の値段が安い南米ならではの一席である。

(2009年4月22日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)


BACK