マルコム・マッカーサー
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この事件について調べていて、アイルランドには「GUBU」という言葉があることを知る。「Grotesque, Unbelievable, Bizarre, Unprecedented」の頭字語である。チャールズ・ホーイー首相のこの事件についての声明に由来している。
「それはまさに異様な出来事、かつてない事態、奇怪な状況、全く信じられない災難だった」
(It was a bizarre happening, an unprecedented situation, a grotesque situation, an almost unbelievable mischance.)
たしかに、信じられない事件だった。そして、この事件のためにホーイー首相は失脚する羽目になるのだ。政権を揺るがす大スキャンダルに発展したのである。
本件の主人公、マルコム・マッカーサー(36)は上流階級の出身で、カリフォルニア大学を卒業したインテリである。ところが、帰国後も定職に就くことなく、遊び呆けていたという。ダブリンの社交界では知らぬ者はいないほどの有名人だった。そして、放蕩の果てに遺産を全て使い果たしたのが1982年7月のことである。
普通なら知人から金を借りるなり、悔い改めて真面目に働くなりするところだが、この遊び人はそうはしなかった。あろうことか強盗に打って出ることを決意したのである。だが、そのためには自動車が必要だ。そこで手始めに自動車を盗むことにした…と参考文献にはあるが、おやおや。こいつは自家用車さえも持っていなかったのか。本当にスッテンテンになっていたのだな。
それは1982年7月22日の暑い日のことだった。フェニックス公園で車を物色していたマッカーサーは、ルノーの横で日光浴する25歳の看護婦、ブライディ・ガーガンに眼をつけた。うん、こいつなら簡単に盗めそうだ。マッカーサーはモデルガンで脅して彼女を後部座席に押し込み、ハンマーで頭をしこたま打ち据えた。そして、彼女を乗せたまま、その場から走り去ったのである。
この事件がビザールなところはここからだ。被害者が看護婦だったため、ルノーには病院のステッカーが貼られていた。そして、赤信号で停車した時、たまたま横に救急車が停まっていたのが運の尽き。運転手がステッカーに気づいてルノーの中を覗き込むと、な、な、なんと、女性が血みどろで倒れているではないか。彼は咄嗟にマッカーサーが医者で、負傷者を病院に搬送中だと思い込んだ。そして、サイレンを鳴らして、交通渋滞の中をセント・ジェイムス病院までルノーを先導したのである。嘘のようだが本当の話だ。マッカーサーは大いに困惑したことだろう。付いて行かなきゃ怪しまれる。かといって、そのまま病院で降りるわけには行かない。病院の構内に入れども停車せず、そのままダッシュで走り抜けて、3kmほど飛ばしたところでルノーを捨てて逃げ出したのである。いったい何のための犯行だったのか。間抜けにもほどがある。
なお、ブライディ・ガーガンはその4日後に死亡している。
それでも懲りないマッカーサーは、3日後にダブリン郊外エデンデリーで農夫のドーナル・ダンを殺害し、ショットガンと車を奪って逐電。その約3週間後の8月13日に逮捕されたわけだが、逮捕された場所がまずかった。彼は時の検事総長、パトリック・コノリーの邸宅で逮捕されたのである。よりによって法の番人に匿われていたのだ。
マスコミはこの大スキャンダルを大々的に報道した。中にはコノリーとマッカーサーとのホモセクシャルな関係を仄めかすものもあったという。ホーイー首相はカンカンだが、当のコノリーはというとバカンスでアメリカに出掛けていた。
「早く帰って来い! このスカタン!」
かくしてコノリーは辞職に追い込まれ、ホーイー首相率いるアイルランド共和党も次の選挙で大敗北を喫した次第である。
一方、当のマッカーサーはというと、司法取引に応じてブライディ・ガーガン殺害の容疑を認め、この件のみで裁かれて終身刑を宣告された。
ちなみに、この事件の後、ダブリンでは「GUBU」という名のバーがオープンした。自然とグロテスクでビザールな人々が集い、今ではダブリンで最も有名なゲイ・スポットなのだそうだ。一度行ってみたいものだ。
(2009年5月2日/岸田裁月) |