ロンダ・ベル・マーティン
Rhonda Belle Martin (アメリカ)



ロンダ・ベル・マーティン

 アラバマ州モンゴメリー在住のロナルド・マーティン(26)が急な腹痛と嘔吐に襲われて入院した。当館の御常連ならば、ここで「砒素」という二文字を真っ先に思い浮かべることだろう。案の定、腹痛と嘔吐の原因は砒素に間違いなかった。
 さて、犯人はと彼の周りを見渡すと、怪しい人物は1人しかいなかった。ロンダ・ベル・マーティン(49)。親子ほど年の離れた姉さん女房で、実際に「かつてのお母さん」だった。
 どういうこと?
 つまり、こういうこと。ロンダがロナルドと結婚したのは1951年12月のことだが、その3年前にロンダはロナルドの父親、クロード・マーティンと結婚していたのだ。その後、間もなくクロードは死亡し、ロナルドはどういうわけか父親の再婚相手と結婚し、砒素を盛られちゃったというわけなのだ。
 捜査官は当然ながらクロードの死についても疑惑を抱いた。彼もまた腹痛と嘔吐の末に死亡していたのだ。

 ロンダの過去を洗った捜査官は唖然とした。不幸がいっぱいなのだ。前の夫のジョージ・ギャレット5人の子供、そして実母のメアリー・ギボンズもまた腹痛と嘔吐の末に死亡していたのだ。
「連続殺人犯、見〜つけた!」
 ってなもんである。ジョージとクロードには4500ドル、ロナルドには3000ドルの生命保険がかけられていた。子供たちにも少額ながらも生命保険がかけられていた。結局は金、金、金の強欲おばさんだったというわけだ。

 かくして1956年3月4日に逮捕されたロンダ・ベル・マーティンは、クロード・マーティンの遺体からも砒素が検出された旨の鑑定結果を突きつけられても知らぬ存ぜぬで押し通した。しかし、ジョージ・ギャレットと娘のエリンの遺体が掘り起こされたことを知ると、一転して罪を認めた。但し、子供に砒素を盛ったのは3人までで、他の2人は自然死だったと頑なに主張した。

 法廷において、ロンダは罪は認めたものの、決して保険金目当てではなかったことを主張した。己れの強欲を認めたくはなかったようだ。死刑判決を下された彼女は1957年10月11日に処刑された。

(2010年2月25日/岸田裁月) 


参考資料

『愛欲と殺人』マイク・ジェイムス著(扶桑社)
http://en.wikipedia.org/wiki/Rhonda_Belle_Martin


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