アイヴァン・ミラット
Ivan Milat (オーストラリア)



アイヴァン・ミラット

 1992年9月20日、ニュー・サウス・ウェールズ州ベリマの南西15kmほどのベラングロ州立森林公園において、ジョアン・ウォルタースキャロライン・クラークの遺体が発見された。ジョアンはナイフで滅多刺し。一方、キャロラインは銃で頭を10回も撃たれている。共にイギリス人のバックパッカーだった。

 翌1993年10月、同公園内でデボラ・ エヴェリストジェイムス・ギブソンの白骨化した遺体が発見された。やはりバックパッカーだった2人は、4年前にヴィクトリア州フランクストンで目撃されたのを最後に行方不明になっていた。

 1993年11月1日、同公園内でシモーネ・シュミドルの白骨化した遺体が発見された。彼女もドイツ人のバックパッカーだった。遺体のそばには衣服が落ちていた。だが、それは彼女のものではない。同様に行方不明になっていたドイツ人のバックパッカー、アンジャ・ハブシードのものだった。
 2日後にアンジャとそのボーイフレンドのガボール・ニュージバウアーの遺体がほど近い場所で発見された。ガボールは銃で頭を9回も撃たれ、アンジャに至っては首を切断されていた。

 いずれのケースでも遺体発見現場でキャンプした形跡があった。つまり、被害者は長時間に渡って拘束されていたわけで、拷問されていたことが伺える。事実、多くの被害者は手足を縛られ、脊椎を斬られて行動の自由が奪われていた。誠に惨たらしい限りである。

 12日後の11月13日、地元警察はイギリス在住のポール・オニオンズからの通報を受けた。
「4年ほど前の1990年1月25日のことです。シドニー周辺でバックパッカーをしていた私は『ビル』と名乗る男の車に拾われました。しばらくは雑談を交わしていたのですが、ミタゴンに差し掛かった辺りで突然『ビル』に銃を突きつけられたのです。私は死にもの狂いで逃げ出しました。そして、たまたま通り掛ったジョアン・ベリーさんに救われたのです。このたびの一連の事件も『ビル』の犯行ではないかと思い、こうして電話した次第です」
 実は警察は既にジョアン・ベリーからも通報を受けていた。早速、オニオンズに捜査の協力を求めたところ、彼が「ビル」と断定したのがアイヴァン・ミラット(48)だった。

 ミラットの名は捜査の初期段階から容疑者リストに連ねられていた。14人兄弟の4番目。無類のガンマニアで、1971年に2人のバックパッカーの女性を強姦したかどで逮捕された経歴がある(但し、不起訴)。犯行現場付近に土地を所有しており、最初の遺体が発見された直後に自家用車の日産サファリを売却している。犯人のプロファイルに最も近い人物である。
 かくしてミラットは1994年5月22日に逮捕された。キャンベルタウンの自宅からは以下のものが押収された。
 凶器の22口径ライフル銃。
 被害者の衣服。
 被害者のキャンプ用具。
 被害者のカメラ。
 もはや云い逃れは出来ない筈だった。ところが、ミラットはこのような云い逃れをした。
「あの家には4人の男兄弟と一緒に住んでいたんだ。他の誰かの犯行かもしれないぜ。そうさ。俺は兄弟の誰かにハメられたんだ。誰かはだいたい判っている。弟のリチャードだ」
 この主張には一理ある。というのも、アイヴァン・ミラットは酒も煙草もやらないのだが、犯行現場には酒瓶や吸い殻が残されていたのだ。故に酒飲みで愛煙家のリチャードの犯行(もしくは共犯)である可能性も否定出来ないのだが、結局、アイヴァンのみが裁かれて終身刑が云い渡された。その際、仮釈放を認めるべきでない旨が付言されている。

 なお、現在も服役中のミラットはハンガー・ストライキを行ったり、脱走を試みたり、剃刀の刃やホッチキスの針を飲み込んで自殺を図ったりと、にぎやかなプリズンライフを送っている。
 2009年1月26日にはプラスチック製のナイフで左手の小指を切断し、封筒に入れて高等裁判所に郵送しようとしたという。さぞ痛かったろうなあ。だけど、被害者の痛み苦しみ悔しさに比べたら屁でもないんだけどね。

(2009年12月21日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Backpacker_Murders
http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/predators/milat/discovery_1.html?sect=3
http://news.jams.tv/jlog/view/id-5068


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