デイトン・リロイ・ロジャース
Dayton Leroy Rogers (アメリカ)



デイトン・リロイ・ロジャース

 1987年8月某日夜、オレゴン州ポートランドのデニーズで食事をしていた客は肝を潰した。駐車場に停車していた日産の青いピックアップトラックの助手席から女が転がり落ちたかと思うと、泣き叫びながらこちらに向かってくるではないか! すると、運転席から飛び出した男が女の髪をむんずと掴み、トラックの中に引きずり込むと、そのまま逃げるようにして走り去った。
 賢明な客の1人はトラックのナンバーを控えて通報した。登録者の名はデイトン・リロイ・ロジャース。性犯罪の常習者だった。

 数時間後、自宅で刑事の尋問を受けたロジャースはシラを切り通した。
「今夜は仕事から帰宅して以来、一度も外出していません」
 だが、トラックのボンネットはまだ熱かった。車内を調べたところ、血痕が確認された。何らかの犯罪が行われたことは間違いない。ロジャースは直ちに逮捕された。

 担当刑事には思惑があった。実はここ数ケ月に渡って、オークランド郊外のモラーラの森で、女性の惨殺死体が7体も発見されていたのだ。そのほとんどの現場にはオレンジジュースとウォッカの瓶が落ちていた。つまり、同一犯の犯行である可能性が極めて高い。この一連の事件の犯人がロジャースではないかと踏んだのだ。
 聞き込みを重ねた刑事は、間もなくロジャースがホンボシであることを確信した。彼が酒場で好んで飲んだのはスクリュードライバーだったのだ。云うまでもないが、オレンジジュースとウォッカのカクテルである。


 デイトン・リロイ・ロジャースは1953年9月30日、セブンスデー・アドベンティスト教会の熱心な信者の家庭に生まれた。父親はかなり厳格だったようで、少年時代のロジャースは体罰に次ぐ体罰の毎日だったという。但し、そのことと彼がサディストになったこととの因果関係は不明である。
 1972年8月に最初の結婚を果たすが、30日後に15歳の少女に性行為を強要し、拒絶されると逆上して、ナイフを彼女の腹に突き刺した…。
 いやはや、初犯からトンデモない既知外ぶりである。このたびは執行猶予判決が下されたが、妻から離縁されたことは云うまでもない。

 その後もちょいちょい性犯罪を犯しては警察のお世話になっていたが、1975年10月に2度目の結婚を果たしてからは、しばらく大人しくしていた。自動車修理の仕事も軌道に乗り、生活にゆとりも出て来た。
 しかし、その一方で、ロジャースのサディスティックな妄想は膨らみに膨らんでいた。おそらく妻が妊娠したことでそれは弾けた。仕事終わりでオークランドの繁華街に繰り出すと、売春婦を拾って人里離れた森へと向かう。そこでスクリュードライバーやコカインを奢って安心させてから、縄で縛って拷問するのだ。体中を噛みまくる。ナイフで傷つける。首を絞める等々。
 諸君は『ソウ』という映画を御存知かな? あれのラストはとても痛々しいことで有名だが、あれと同じことをロジャースもやっていた。すなわち、足首を糸ノコで切断したのである。いやはや、呆れてものが云えない。中には鉈ではらわたを抉り出された者もいたというから凄まじい。

 次第に大胆になっていったロジャースは、問題の8月某日に売春婦のジェニファー・スミスを拾い、いきなりデニーズの駐車場においてナイフで切りつけた。我慢出来なかったのだろうなあ。で、逃げ出されて、目撃されちゃったというわけだ。間もなく彼女の無残な遺体がモラーラの森で発見された。最早、云い逃れは出来なかった。

 結局、ジェニファー・スミスを含む6件の殺人で有罪になったデイトン・ロジャースには死刑が宣告された。その後、再審を争っているので、今のところまだ執行されていない。

(2009年12月1日/岸田裁月) 


参考資料

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
http://en.wikipedia.org/wiki/Dayton_Leroy_Rogers
http://investigation.discovery.com/investigation/where-now/rogers/dayton-leroy-rogers.html


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