ジェイムス・ルパート
James Ruppert (アメリカ)



ジェイムス・ルパート

 ジョイス・ロビンスとピーター・アーノルドの共著『Serial Killers』はタイトルの通り、連続殺人犯のデータベースなのだが、際立った大量殺人犯も紹介されていて、それはチャールズ・ホイットマンだったり、リチャード・スペックだったり、このジェイムス・ルパートだったりする。11人という数は当時の家族殺しの最多記録である。

 チャリティ・ルパート(65)
 レナード・ルパート(42)
 アルマ・ルパート(38)
 レナード・ルパート(17)
 マイケル・ルパート(16)
 トーマス・ルパート(15)
 カール・ルパート(13)
 アン・ルパート(12)
 デヴィッド・ルパート(11)
 テレサ・ルパート(9)
 ジョン・ルパート(4)

 ジェイムス・ルパートは1934年3月29日、オハイオ州ハミルトンに生まれた。身長167cm。アメリカ人にしては小柄である。一つ上の兄レナードと比べて何かと劣る彼は、そのことに多大なコンプレックスを抱いていた。兄に習って大学に進学してはみたものの、学業が追いつかずに2年で退学。仕事に就けば間もなくクビになる。何をやってもダメな彼は、事件当時は実家でただ飯を喰っていた。
 しかし、そんな彼にもたった一つだけ特技があった。射撃である。事件の前日にも河原で空き缶を標的にして射撃に興じる彼の姿が目撃されている。

 1975年3月30日、その日はイースター・サンデーだった。とっくの昔に独立していた兄のレナードも、嫁のアルマと8人の子を連れて実家に遊びに来ていた。毎年の恒例行事である。
「ジェイムスは何処だい?」
「まだ2階で寝てるよ」
 ジェイムスはこのところ深夜まで飲み歩き、夕方になるまでぐうすかの自堕落な日々を送っていた。
「毎日かい?」
「毎日なんだよ。早く仕事を見つけてくれればいいんだけど…」
 彼が起きて来たのは午後4時を回ってからだ。その手には拳銃とライフルが握られていた。そして、キッチンに向かうと、兄、母、義姉の順で射殺。その後、居間で8人の子供たちを皆殺しにした。その3時間後に自ら警察に通報。
「ここで銃撃がありました。はい、みんな死にました」
 費やされた銃弾は31発。犠牲者の殆どは頭を撃ち抜かれていた。

 法廷において弁護人は精神異常を主張した。動機についてルパートがこのように供述していたからだ。
「母や兄はFBIと共謀して私を破滅させようとしていた。だから、その前に先手を打ったんだ」
 しかし、彼が家族に30万ドルの生命保険を掛けていたこと、事前に銃砲店でサイレンサーを買い求めようとしていたことが判ると、陪審員は正気と判断して有罪を評決、ルパートは終身刑を云い渡された。
 但し、控訴審では兄と母の殺害についてのみ有罪となった。最初の殺人でワケが判らなくなり、心神喪失の状態で続く殺人を犯したと認定されたのだ。しかし、終身刑であることには変わりない。ルパートは現在もオハイオ州リマにある矯正施設に収容されている。

(2009年2月26日/岸田裁月) 


参考文献

『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)
『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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