デヴィッド・シェアリング
David William Shearing (カナダ)



デヴィッド・シェアリング

 1982年8月6日、ブリティッシュコロンビア州クリアウォーター、ウェルスグレイ州立公園内のキャンプ場で、ジョージ・ベントレーイーディスの夫妻は、娘のジャクリーンとその夫のリチャード・ジョンソン、孫のジャネット(13)とカレン(11)と共に楽しいひと時を過ごしていた。ところが、その日を最後に彼らの姿を見た者はいない。無残な遺体が発見されたのは9月13日になってからだ。森の中で車ごと燃やされていた6つの遺体は殆ど炭になっていた。うち4人の大人は銃で頭を撃たれていた。

 燃やされていたのはジョンソン夫妻の車で、ベントレー夫妻が所有するキャンピング・カーは行方不明になっていた。数々の目撃情報が寄せられたが、遂に発見に至ったのは10月になってからだ。それは遺体発見現場から20マイルほど離れた渓谷に遺棄されていた。
 間もなく有力な情報が寄せられた。同じ型のキャンピング・カーを乗り回していた男に関する情報なのだが、そのドアには銃創があったというのだ。この事実は報道では伏せられていた。故にホンボシと見て間違いないだろう。男の名はデヴィッド・シェアリング。25歳の若者だった。

 間もなくシェアリングは犯行を認めた。
「彼らを見かけた私は、ライフルを取りに戻り、そして撃ち殺しました。4人の大人は後部座席に、2人の少女はトランクに詰め、車を移動させました。その後、徒歩で現場まで戻り、キャンピング・カーで帰宅しました。車にガソリンをかけて火を放ったのは翌日です。キャンピング・カーはその数日後に遺棄しました」
 犯行の動機については曖昧だ。
「どうしてあんなことをしてしまったのか、自分でも判りません。本当に申し訳ないことをしたと思っています」

 かくしてデヴィッド・シェアリングは6件の殺人で有罪となり、終身刑を宣告された。その際に25年は仮釈放が認められない旨が付言されたわけだが、その25年は既に過ぎている。今のところは釈放されていないようだ。はてさて、どうなることやら。

(2010年1月19日/岸田裁月) 


参考資料

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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