マイケル・スロボディアン
Michael Slobodian (カナダ)



マイケル・スロボディアン


ブランプトン・センティニアル高校

 1975年5月28日水曜日、オンタリオ州ブランプトンのブランプトン・センティニアル高校での出来事である。ギターケースを抱えた長髪の少年がやや遅れて登校した。マイケル・スロボディアン(16)。音楽活動に熱心な、ごく普通の若者である。しかし、ケースの中身はギターではなかった。誕生日に買ってもらったライフルとショットガン、そしてお気に入りの軍服が収納されていた。
 1階のトイレでスロボディアンは軍服に着替え、銃に弾を装填した。そこに運が悪いことにクラスメイトのジョン・スリンガーが入って来た。スロボディアンは迷うことなく彼を射殺した。

 廊下に出たスロボディアンは、出くわした者に向けて次々に発砲した。13人の生徒が重傷を負い、美術教師のマーガレット・ライト(25)が死亡。そして、最終的にスロボディアンは自らにも銃を向けてこの世から退場した。学校襲撃事件の典型的な幕切れである。

 それにしても何でまたスロボディアンは犯行を思い立ったのだろうか?
 自室に残されていた遺書から動機の一端が明らかになった。彼は科学の教師を恨んでいた。落第点をつけられたために医学校への進学の道が断たれたからだ。しかし、標的にはこの教師は含まれていなかった。まだ他に理由があるのかも知れない。

 なお、この学校には当時のオンタリオ州首相ウィリアム・デイヴィスの娘が通っていたが、彼女が事件に巻き込まれることはなかった。
 また、カナダの人気コメディ・グループ「キッズ・イン・ザ・ホール」の1人、スコット・トンプソンはスロボディアンの同級生だった。彼は遅刻したおかげで難を逃れたようだ。

 ちなみに、この事件の5ケ月後、同じオンタリオ州のオタワで、18歳のロバート・プーリンが学校襲撃事件を起している。プーリンは本件に触発されて犯行に及んだのではないだろうか。

(2009年3月11日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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