ジョージ・スティーヴンソン
George Stephenson (イギリス)



ジョージ・スティーヴンソン

 1986年9月1日午後9時頃、ハンプシャー州フォーディングブリッジの瀟洒な屋敷で火の手が上がり、焼け跡から5人の遺体が発見された。

 ジョセフ・クリーヴァー(82)
 ヒルダ・クリーヴァー(82・ジョセフの妻)
 トーマス・クリーヴァー(47・ジョセフの息子)
 ウェンディー・クリーヴァー(46・トーマスの妻)
 マーガレット・マーフィー(70・住み込み看護婦)

 ウェンディーを除く4人は、2階の主寝室で見分けがつかないほどに黒焦げになっていた。身元を確認するためには歯科医のカルテが必要だった。
 一方、ウェンディーは隣りの部屋で、強姦された後に絞殺されていた。この屋敷には数年前に耐火工事が施されていたので、焼けたのは主寝室だけだったのだ。
 おそらく犯人は殺人の証拠を消すために火を放ったのだろう。だが、その目論みは失敗に終わった。

 間もなく警察は容疑者として1人の男に目星をつけた。かつてクリーヴァー家に雑役夫として雇われていたジョージ・スティーヴンソン(35)である。彼は3週間前に解雇されていた。
 スティーヴンソンは全国に指名手配され、その顔写真は新聞やテレビでも公開された。もはやこれまでと観念したのだろう。翌日、警察に出頭した。

 目的は復讐と物盗りの両方だった。元雑役夫のスティーヴンソンは、屋敷に金庫があることも、銃のコレクションがあることも、ポーチに玄関の鍵が隠してあることも、夕食は必ず8時に全員で摂ることも知っていた。だから8時に襲えば楽勝だ。しかし、1人でやるにはちと荷が重い。そこでジョージ・デイリーとその弟のジョンに協力を求めた。
 ちなみに、この3人はクリーヴァー家から奪った銃器でナニートンにある工場を襲い、賃金を強奪することを企んでいた。

 3人はきっかり午後8時に侵入し、夕食の席につくクリーヴァー家の人々を拳銃とピックアックスで脅して主寝室に誘導、手足を縛って口を塞いだ。そして、ウェンディーを3人で強姦した。絞殺したのはジョン・デイリーだった。その後に家捜しを始めたわけだが、金庫はとうとう見つからなかった。これ以上長居をするのは危険なので、とりあえず奪った100ポンドと宝石類、3挺のショットガンで手を打とう。しかし、退却する前にやるべきことがある。証拠の隠滅である。スティーブンソンは主寝室にガソリンを撒き、あばよと挨拶して火を放った…。
 なんと、彼らは生きたまま焼き殺されたのである。復讐のためとはいえ、いくらなんでも凶悪に過ぎる。

 かくしてジョージ・スティーヴンソンは、ウェンディーを除く4件の殺人容疑で有罪となり、終身刑を宣告された。その際に少なくとも25年は釈放されるべきではない旨が付言されている。
 ジョン・デイリーも1件の殺人容疑で有罪となり、終身刑を宣告されたが、兄のジョージは直接手を下していないため、22年の刑に留まった。

(2011年1月22日/岸田裁月) 


参考資料

『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)
http://www.thisishampshire.net/news/2278539.dinner_party_mass_killer_fails_to_get_sentence_reduced/
http://www.neilsands.plus.com/stephenson.htm


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