ジョージ・スティニー
George Junius Stinney Jr. (アメリカ)



ジョージ・スティニー

 14歳の黒人少年、ジョージ・スティニーは20世紀以降のアメリカにおける最年少の死刑囚である。その年齢はもちろん、事件発生から僅か81日で処刑されたことも問題視されている。自白の信憑性も疑わしい。とにかく、問題だらけの事件なのである。

 1944年3月23日、 サウスカロライナ州ののどかな製材の町、アルコルで2人の白人少女が行方不明になった。ベティ・ジューン・ビニカー(11)と、その友達のメアリー・エマ・テムズ(8)である。2人はベティの自転車に乗って花を摘みに出掛けたまま、日が暮れても帰って来なかった。こんな時間になっても帰って来ないことは初めてだ。製材所の従業員たちを中心に捜索隊が組織され、付近一帯を探して回った。しかし、その晩は遂に見つけることは出来なかった。
 一夜明けた午前7時30分頃、線路脇のぬかるみでいくつもの小さな足跡が見つかった。その後を辿って行くとハサミが落ちていた。それはベティが花の茎を切るために、家から持ち出したものだった。
 ぬかるみの先には泥水で溢れた溝があった。中に自転車が沈んでいるのが見えた。誰かが叫んだ。
「いたぞ!」
 自転車のそばには少女たちの遺体が沈んでいた。共に後頭部と鈍器で何度も殴打されて殺害されていた。

 その数時間後にジョージ・スティニーは逮捕された。遺体発見現場がスティニーの自宅に近かったこと、そして、その自宅前の道端でスティニーが少女たちと話していたとの目撃情報が寄せられたことが逮捕の理由だった。
 スティニーは警察署に連行され、保護者の立ち会いなくして、白人ばかりの警察官に尋問された。自白するまでには1時間とかからなかった。彼が供述した(とされる)ところによれば、犯行のあらましは以下の通りだった。

「彼女たちは自転車を引きずりながら、僕の家の近くを歩いていました。そして、僕に声をかけてきました。『メイポップス(チャボトケイソウ)が咲いてる場所を知ってる?』。僕は『知ってるよ。こっちだよ」と答えて、彼女たちを線路脇の小道に案内しました。
 やがて、僕はベティにちょっかいを出したくなりました(ここでは柔らかく書いたが、供述調書には『wanted have sex with』とある)。そのためにはメアリーは邪魔です。追い払わなければなりません。僕は彼女を殺すことに決めました。線路脇に落ちてた犬釘(枕木を固定する大型の釘)を拾い上げると、彼女の頭に後ろから殴り掛かりました。すると、ベティも騒ぎ出しました。僕は彼女も殺さなければならなくなりました。そして、その死を確認すると、自転車と共に泥水の中に突き落としました」

 凶器の犬釘も泥水の中から発見された。

 翌日、身長155cm、体重40kgのジョージ・スティニーは第一級殺人の容疑で起訴された。その旨が公表されるや否や、町中は怒り狂った。
「クロンボのガキが白人の娘を殺しやがった!」
 何十人もの群衆が拘置所に押し寄せ、建物を叩き壊してリンチする勢いだったという。スティニーをこの町に置いておいては、いつか確実に殺される。故にその身柄は遠方のチャールストンに移送された。

 1944年4月24日、クラレンドン郡裁判所で執り行われた裁判は茶番そのものだった。
 陪審員の選定は午前10時から開始され、昼頃には終了した。選ばれた陪審員はすべてが白人男性で、黒人や女性は1人もいなかった。
 スティニーの弁護人は、チャールズ・プラウデンという30歳の野心家だった。彼が弁護を引き受けたのは売名であることはありありだった。
 開廷したのは午後2時30分。そして、午後5時には全ての審理が終わっていた。何故か? 弁護人のプラウデンが証人への反対尋問を一切行わなかったからだ。彼は被告が14歳であることのみを主張して無罪を勝ち取ろうとしていたのだ。ところが、当時のサウスカロライナ州の法律では、刑事事件においては14歳以上の者は成人と看做される。この戦法には些か無理があったと云わざるを得ない。否。勝つ気がなかったと云うべきだろう。
 陪審員はたった10分の審議で有罪を評決し、スティニーには電気椅子による死刑が宣告された。
 これ全てがたった1日の出来事である。いくらなんでも早過ぎないか?

「14歳の黒人少年に死刑判決」のニュースが広まると、全国各地から助命嘆願書がオーリン・ジョンストン州知事のもとに集中した。
「子供を死刑にするなんて、まるでヒトラーの所業じゃないか!」
 全米黒人地位向上協会も各地の教会や組合も猛然と抗議した。しかし、ジョンストンは頑なに受け入れなかった。

 1944年6月16日午前8時、ジョージ・スティニーはコロンビアにあるサウスカロライナ州刑務所で、電気椅子により処刑された。
 小柄なスティニーには電気椅子は大き過ぎた。顔面を覆い隠すマスクも大き過ぎた。故に、いざ電流が流されると、そのショックで身体が浮き上がり、マスクも弾け飛んだという。
 心臓の停止が確認されたのは4分後のことだった。

(2011年12月9日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/George_Stinney
http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/young/child/1.html


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