コーラル・ユージン・ワッツ
Carl Eugene "Coral" Watts
a.k.a. The Sunday Morning Slasher (アメリカ)



コーラル・ユージン・ワッツ

 カール・ユージン・ワッツ(通称コーラル)は1953年11月7日、テキサス州フォート・フードで陸軍上等兵の子として生まれた。しかし、まだ1歳の頃に両親が離婚し、幼い彼は母方に引き取られた。その後、ミシガン州インクスターに移り住み、彼が8歳の時に母は再婚を果たしている。

 ワッツの供述によれば、女を拷問の末に殺害することを夢見始めたのは12歳の頃からだという。如何にも早熟である。そして、1969年6月29日に26歳の女性に猥褻行為を強要したかどで逮捕されている。しかし、僅か4ケ月で釈放された。IQ69という低さから知的障害と認定されたためである。
 その後、ワッツは19歳の時にテネシー州ジャクソンのレイン大学にフットボールでの推薦入学を果たすも、僅か3ケ月で放校となる。彼にまつわる良からぬ噂、すなわち強制猥褻の常習犯である旨の噂が学内に蔓延したためだ。中には殺しへの関与を指摘するものもあったという。しかし、この時には彼は警察の取り調べを受けることはなかった。

 ワッツが初めて殺人の容疑者として警察にマークされたのはその翌年のことである。1974年10月30日にウェスタン・ミシガン大学の学生、グロリア・スティール(20)をナイフで惨殺したかどで逮捕されたのだ。しかし、警察は決め手となる証拠を見つけることが出来なかった。そのためにワッツは別件の強制猥褻容疑でのみ裁かれて、1年の懲役を云い渡されるに留まったのである。

 釈放後、ワッツは1982年に再逮捕されるまでに何十人もの女性を殺めて来たと信じられている。彼が7年にも渡って野放しにされていたのには理由がある。まず、その犯行がいくつもの州に跨がっていたこと。そして、多くの場合、ワッツは被害者を姦淫していなかった。そのために単なる強盗として扱われることもしばしばだったのだ。また、彼が決して知人を狙わなかったことも逮捕を遅らせた理由である。ワッツは動物的直感により、逮捕を逃れる術を知り尽くしていたのだ。

 1982年5月23日、ワッツはテキサス州ヒューストンで、2人の若い女性をその自宅で襲い、殺害しようとした容疑で逮捕された。その過去を洗った地元警察は、彼こそが「サンデー・モーニング・スラッシャー」とマスコミにより命名された連続殺人犯であると確信した。そこで司法取引を持ち掛けたところ、ワッツはこれに応じてテキサス州における12件の殺人を認め、60年の刑に服したのである。
 彼はこの他にもミシガン州やオハイオ州、そして、カナダでも殺人を繰り返していたと見られているが、テキサス州以外は司法取引を持ち掛けなかったため、その全貌は明らかになっていない。

 その後、ミシガン州は独自にワッツをヘレン・ダッチャー殺害の容疑で起訴し、2004年12月7日に遂に終身刑の判決を勝ち取った。そして、2007年7月25日、ワッツはグロリア・スティール殺害の容疑で係争中に前立腺癌のために死亡。結局、その犯行の全貌は不明のままに終わったわけだが、7年という犯行期間から考えて、80人は殺していると見られている。

(2009年5月2日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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