マルセル・バルボー
Marcel Barbeault
a.k.a. Le Tueur de L'ombre (フランス)



マルセル・バルボー

 1941年生まれのマルセル・バルボーは、1969年から1976年にかけて、ノジャン=シュル=オワーズで7人の女性と1人の男性を殺害したと見られている。いずれのケースでも凶器は22口径のライフルで、女性の被害者はみな黒髪だった。初期の被害者は暗闇から狙撃されていたため、バルボーは「暗闇の殺人者(Le tueur de l'ombre)」と呼ばれている。

 1969年1月10日、主婦のフランソワーズ・ルクロンが夕食の支度中に何者かに肩を撃たれた。幸いにも命に別状はなかった。

 4日後の1月14日、ミシェル・ルーヴェ(17)が帰宅途中に何者かに腹部を撃たれた。彼女もまた死ぬことはなかったが、次の被害者は違った。

 9日後の1月23日、化粧品販売員のテレーズ・アダム(49)が自宅のガレージで、まず鈍器で頭を殴られた後、うなじを撃たれた。弾道検査により、一連の事件の凶器は同一であることが確認された。

 その後、犯行はしばらく途絶えた。再開されたのは10ケ月後の11月16日のことである。このたびは犯人は犯行のスタイルを変えた。マスクで顔を隠して夕食時の民家に押し入り、主婦のスザンヌ・メリエンヌ(44)と19歳の娘をライフルで脅して屋外に連れ出し、あたかも処刑するかの如く、娘の目の前で母親の頭を撃ち抜いたのである。
 犯人はどういうわけか娘には手を出さなかった。その逃走を許したのだ。間もなく警察に保護された娘は、犯人についてこのように供述した。
「まるで猫のような目をした男でした」

 捜査が進展しないまま月日は流れた。次の犯行は1973年2月6日になってからである。アニック・ドリール(29)が帰宅途中に鈍器で頭を殴られ、うなじを撃たれたのだ。弾道検査の結果は「暗闇の殺人者」が復帰したことを示していた。

 同年5月29日には墓地脇の車の中でユージン・ステファン(25)とモーリセット・イフテ(23)のカップルが殺害された。凶器は別の銃だったが、22口径のライフルで頭を撃ち抜くという犯行は「暗闇の殺人者」のそれと同じだった。

 1974年1月8日にはジョゼット・ルチエ(29)が殺害された。腹部をナイフで刺された後、頭を22口径のライフルで撃ち抜かれていた。また、このたびは被害者の下着が剥ぎ取られていた。

 翌年の1975年11月25日、ジュリア・ゴンサルヴェス(29)が殺害された。頭を22口径のライフルで撃ち抜かれ、衣服を剥ぎ取られて、路上に放置されていた。

 1976年1月6日にはフランソワーズ・ヤクボウスカ(20)が帰宅途中に殺害された。胸部をナイフで何度も刺されて、頭を22口径のライフルで撃ち抜かれていた。彼女もまた下着を剥ぎ取られていた。

 1976年12月14日、或るタレ込みを切っ掛けにバルボーの自宅を捜索した警察は、その地下室から22口径のライフルと軍用ナイフ、棍棒等を押収した。弾道検査の結果、それは最後の2件の凶器と確認された。
 結局、バルボーは5件の殺人容疑でのみ有罪となり、終身刑を宣告された。彼は現在もサン=モール刑務所に服役中である。

 さて、問題はその動機であるが、バルボーは犯行を否認し続けているので、詳しいことは何も判っていない。だが、彼の犯行は母親が乳ガンで死亡した直後に始まったことから、その関係性が指摘されている。つまり、健全な女性を憎悪し、母親と同じ黒髪の女性にその憎しみをぶつけたのではないか、と。しかし、後期の犯行では衣服や下着を剥ぎ取っており、明らかに性的な動機が窺える。結論としては「ゲスで身勝手な馬鹿野郎」という評価でよいのではないか。「暗闇の殺人者」とか呼ぶと「カッコいい」と憧れる馬鹿が湧いて出るといけないので。

(2012年11月25日/岸田裁月) 


参考資料

http://murderpedia.org/male.B/b/barbeault-marcel.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/Marcel_Barbeault


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