ローレンシア・ベンベネック
Lawrencia "Bambi" Bembenek (アメリカ)



ローレンシア・ベンベネック

 ローレンシア・ベンベネックは1958年8月15日、ウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれた。
 1980年3月、彼女はミルウォーキー警察に訓練生として採用された。しかし、同僚でルームメイトのジュディー・ゼスが大麻吸引の容疑で逮捕された際、その書類の内容を改竄したことが発覚し、同年8月25日に解雇された。その後は地元の「プレイボーイ・クラブ」でウェイトレスをしていたという。そして、1981年1月30日にエルフレッド・シュルツと結婚した。10歳年上の彼は、ミルウォーキー警察の刑事だった。

 結婚後も彼らはジュディーと同じアパートに暮らし続けていた。それには理由があった。エルフレッドは前年11月に前妻と離婚したばかりで、現在も財産分与を巡って係争中だったのだ。故に金欠状態で、新居を借りられなかったのである。
 ちなみに、ローレンシアがエルフレッドと恋愛関係に至ったのは離婚後とのことで、彼女が離婚原因ではないらしい。

 さて、ここからが本題。
 1981年5月28日午前2時15分頃、エルフレッドの元妻、クリスティン・シュルツ(30)が自宅の寝室で殺害された。侵入者に両手を物干し綱で縛られ、青いバンダナで猿轡をされた末に、38口径の拳銃で背中から心臓を撃たれたのである。
 息子のシーン(10)とシャノン(7)は犯人を目撃していた。
「彼はスキー・マスクで顔を覆い、グリーンのアーミー・ジャケットを着ていました。髪の毛は赤毛のポニーテールでした」

 犯人としてまず疑われたのがエルフレッドだった。クリスティンと係争中の彼には明確な動機があった。裁判では特に自宅のローンについて揉めていた。クリスティンはその後もエルフレッドが支払い続けるべきだと主張していたのだ。これにはエルフレッドは猛反発し、彼女の顧問弁護士に、
「あいつの頭を吹き飛ばしてやろうか!?」
 などと毒づいていたという。また、彼が自室に所持していたスミス&ウェッソンが弾道検査によって凶器であることが判明した。犯人確定かに思われた。
 ところが、彼にはアリバイがあった。犯行時に同僚の刑事、マイケル・ダーフィーとバーで飲んでいたのだ。

 そこで疑われたのがローレンシアだった。彼女はクリスティンに自宅から退去することを予てから要求していた。「そこは私とエルフレッドが住むべき家だ」と主張していたのである。そして、彼女はクリスティンの家の鍵と、凶器の拳銃を持ち出せる立場にあった。グリーンのアーミー・ジャケットと、犯行に用いられた物干し綱と青いバンダナも彼女は所持していた。赤毛のウィッグも彼女のアパートの配管周りから発見された。

 かくしてローレンシア・ベンベネックは殺人容疑で逮捕された。彼女は一貫して関与を否認していたが、陪審員は有罪を評決し、終身刑が宣告された。1982年3月のことである。



脱獄後のローレンシア・ベンベネック

 しかし、私はこの結論を支持できない。彼女が犯人とは思えない。
 まず、被害者の息子たちは犯人のことを「彼」と明言している。明言するからには男女の体格の違いに気づいていたのだろう。
 また、確かに彼女は鍵や凶器を持ち出せる立場にあったが、それは夫のエルフレッドも、ルームメイトのジュディーも同じなのだ。
 更に、ジュディーは事件当時、フレデリック・ホーレンバーグというチンピラとつき合っていた。チンピラであるわけだから、当然に刑事のエルフレッドとも顔見知りで、彼もまた鍵や凶器を持ち出せる立場にあったのだ。つまり、このチンピラがエルフレッドに依頼されて犯行に及んだ可能性も否定出来ないのである。

 世間も概ねローレンシアには同情的だった。エルフレッドが判決後にすぐさま離婚し、彼女の悪口を云い始めたこともその一因である。
「バンビはミルウォーキー警察にハメられたんじゃないだろうか?」
「バンビ」とは姓の「ベンベネック』から来た愛称だが(もっとも彼女はこの愛称を嫌っていたようだ)、多くの者が彼女の冤罪を信じ始めていた。一方、ローレンシアはというと、弁護士を通じて再審を請求する一方で、模範囚として過ごし、多くの服役者から慕われていたという。

 1990年7月15日、ローレンシアは同房者の兄、ニック・ググリアートの協力を得て脱獄に成功した。世間は彼女に喝采した。
「逃げろ! バンビ、逃げるんだ!」
(Run, Bambi, Run !)
 こんなステッカーまでが販売されたのだから、大した人気者である。
 その後、カナダのオンタリオ州サンダー・ベイに3ケ月間潜伏していた彼女は、カナダ政府に亡命を要求した。
「私は本国アメリカで公正な裁判を受けることが出来ませんでした」
 この要求は受け入れられなかったが、カナダ政府は彼女の裁判に問題があったことを指摘してアメリカ政府に引き渡した。これを受けて彼女は第2級殺人に減刑されて、その刑期の10年を既に過ぎていることから釈放される運びとなった。ローレンシアは無実を選ぶことなく、自由を選んだのである。

 その後、ローレンシアは「ローリー(Laurie)」と改名。自伝を執筆し、それを元にしたTVドラマが2本も製作された。大麻吸引で逮捕されたり、2002年には2階のバルコニーから飛び降りて、右足の膝から下を切断等、何かと話題に事欠かなかった。いわば「あの人は今?」的な役割を20年に渡って果たして来たわけだ。そして、2010年11月20日、肝臓がんのために死亡した、52歳だった。
 彼女が犯人であったかはともかく、波瀾万丈の人生だった。

(2012年11月5日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Laurie_Bembenek
http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/women/bambenek/1.html
http://murderpedia.org/female.B/b/bembenek-laurie.htm


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