エリック・ヘインストック
Eric Hainstock (アメリカ)



エリック・ヘインストック

 2006年9月29日、ウィスコンシン州ののどかな田舎町、カゼノヴィアでの出来事である。
 午前8時頃、ウェストン高校に生徒のエリック・ヘインストック(15)がショットガンを携えて登校し、社会科の教師に銃口を向けた。これを見咎めた守衛が直ちに銃を取り上げたために発砲には至らなかったが、エリックはもう1挺の拳銃をジャケットの中に隠し持っていた。騒ぎを聞きつけた校長のジョン・クランが駆けつけると、エリックは彼に目掛けて発砲した。クランは被弾しながらもエリックを押し倒し、拳銃を奪い取った。彼の英雄的行為は後に称賛の的となるが、その命は助からなかった。

 エリック・ヘインストックは様々な問題を抱えた生徒だった。2歳の時に両親が離婚し、彼は父親に引き取られた。4歳の時には注意欠陥多動性障害(いわゆるハイパーアクティブ)と診断されたが、父親は一切の治療を拒絶した。「しつけでどうにかなる」と信じていたのだ。以降、エリックは父親から「しつけ」と称する様々な体罰を受け続けた。症状は悪化するばかりだった。
 6歳の時に父親が再婚してからは、彼の扱いは更にぞんざいになった。買い与えられた衣服はサイズが合っていなかった。家の掃除や洗濯はすべて彼の仕事だった。奴隷のような日々を強いられていたのだ。
 たまに母親の家に行けば、母親の再婚相手に蹴り飛ばされ、継兄に性的に虐待された。間もなくこの件は公に発覚し、母親は息子に面会する権利を完全に失った。

 2001年9月、当時10歳のエリックが父親に日常的に蹴り飛ばされていることが発覚し、児童福祉所はエリックの養育を強制的に祖母に委ねた。その後、リタリンを処方されたこともあって、エリックの症状は安定し始めた。だが、2002年4月に父親のもとに戻されると、全ては元の木阿弥になってしまう。

 やがてウェストン高校に進学したエリックは格好のイジメの対象になった。いつも情緒不安定で挙動不審、成績も悪かった。父親は彼に昼食代を与えていなかったので「貧乏人」とのレッテルも貼られた。

「誰も殺すつもりはありませんでした」

 エリックは犯行後に語った。

「ただ、イジメがあることを知ってもらいたかったんです」

 エリック・ヘインストックは成人として裁かれて、第1級殺人の容疑で有罪となり、終身刑を宣告された。彼が仮釈放の資格を得るのは2037年以降である。

(2013年1月30日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Weston_High_School_shooting
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_attacks_related_to_secondary_schools
http://murderpedia.org/male.H/h/hainstock-eric.htm


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