カール・ホール(右)とボニー・ヘディー
ロバート・グリーンリース・ジュニア
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1953年9月28日午前10時55分、一人の中年女性がミズーリ州カンザス・シティーにあるカトリック・スクール、ノートルダム・ド・シオンの校門前にタクシーで乗りつけた。シスター・モランドが迎え入れた時、彼女は明らかに取り乱しているように見えた。曰く、
「私はボビー・グリーンリースの叔母なのですが、彼の母親が先ほど心臓発作を起こしまして、セント・メアリー病院に運ばれました。ボビーを母親のもとに連れて行きたいのですが、よろしいでしょうか?」
ボビーとはカー・ディーラーの大富豪、ロバート・グリーンリースの息子であるロバート・グリーンリース・ジュニア(6)のことである。シスター・モランドは断る理由がないので、ボビーの早退を認めた。ボビーは自称叔母に連れられてタクシーに乗り込み、学校を後にした。
午前11時30分、シスター・マーザンナがボビーの自宅に電話をしたところ、「母親が心臓発作で入院」はまったくの嘘であることが判明した。なにしろ電話に出たのは当人のグリーンリース夫人であったのだから。さあ、これは大変だ。幼いボビーが誘拐された。父親のグリーンリース氏は地元警察だけでなく、FBIにも協力を求めた
一方、ボビーを誘拐した中年女性は近くの駐車場でタクシーを降りて、カール・ホール(34)が運転するステーション・ワゴンに乗り換えた。中年女性はグリーンリースの親族でも何でもなく、カール・ホールの愛人のボニー・ヘディー(41)だった。彼女がシスター・モランドに「取り乱しているよう」に見えたのは演技でもなんでもなく、アル中だったからだ。緊張を解すために朝からウィスキーをガブ飲みしていたのだ。酒の臭いは「クロレッツ」と噛んで胡麻かしていたようだ。
午後9時30分、誘拐者からの最初の脅迫状がグリーンリース家に届いた。
「ボビーを返して欲しければ、20ドル札と10ドル札で60万ドルを用意しろ。受け渡し方法については後に伝える」
60万ドルという金額は身代金としては当時の最高額だった。
誘拐者との交渉はその後は電話で続けられた。そして、10月5日の電話が最後となった。
「60万ドルは受け取った。ボビーは24時間以内に解放する」
しかし、ボビーは解放されることはなかった。何故なら、既に死亡していたからだ。誘拐直後に射殺され、ヘディー家の庭に埋められていたのだ。
セントルイスに逃亡した二人組は、10月6日の夜には潜伏先のモーテルで逮捕された。札ビラをちらつかせていたために通報されたようだ。
かくして、誘拐及び殺人の容疑で有罪となった両名は、死刑を宣告されて、12月18日にガス室で処刑された。
なお、60万ドルの身代金は、どういうわけか半分しか回収されなかった。ギャングの手に渡ったか、それとも何処かに埋められているか、様々な憶測が噂されているが、その行方は今日もなお不明である。
(2012年11月16日/岸田裁月)
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