2004年2月3日、フロリダ州パルメット・ベイのサウスウッド中学校での出来事である。その日の朝、マイケル・ヘルナンデス(14)は親友のハイメ・ロドリゴ・ゴフ(14)を2階のトイレに呼び出した。
「ちょっと見せたいものがあるんだ」
そのしばらく後、別の生徒がトイレに入るなり仰天した。個室から血の海が床に広がっていたのだ。そのそばではヘルナンデスが手を洗っている。彼はヘルナンデスに訊ねた。
「おい、あれを見たか?」
「ああ、見たよ」
ヘルナンデスは素っ気なく答えた。
「守衛を呼んだ方がいいかもね」
間もなく呼ばれた守衛は、個室の中でゴフの遺体を発見した。彼は胸を何度も刺された上、喉を切り裂かれていた。その時にはヘルナンデスの姿はトイレから消えていた。
学校は直ちに閉鎖され、容疑者としてヘルナンデスの身柄が押さえられた。彼のバッグからは血みどろのジャケットと手袋、そして凶器の折り畳みナイフが発見された。
ヘルナンデスとゴフは仲のいい優等生で、その間には何のトラブルもなかった。それなのに何でまた殺さなければならなかったのか?
やがて警察はヘルナンデスの部屋から41ページに及ぶ日記を押収した。その中で彼は連続殺人犯や大量殺人犯を賛美し(例えば、テッド・バンディーとか)、ナチスへの憧れを綴り、自らも連続殺人犯や大量殺人犯になることを決意して殺人計画を練っていたのだ。物静かな優等生は家族でさえも知らなかったダークサイドを隠し持っていたのである。
ヘルナンデスは犯行の前日に14歳になったばかりだった。そして、その誕生日の「ささやかなお祝い」として犯行は計画された。彼は姉と親友のゴフ、そしてもう一人の生徒を殺害することを企んでいたのだ。誠に恐ろしいことである。
かくして、その犯行の残虐性ゆえに成人として裁かれたマイケル・ヘルナンデスは、第1級殺人の容疑で有罪となり、仮釈放なしの終身刑が宣告された。
(2013年1月28日/岸田裁月) |