ハロルド・ヒル
Harold Hill (イギリス)



ハロルド・ヒル


犯行に用いられた軍用トラック

 1941年11月22日、バッキンガムシャー州ペンの森の中でドリーン・ハーン(8)とキャスリーン・トレンドル(6)の遺体が発見された。2人は3日前から行方不明になっていた。
 検視解剖によれば、2人は共に首を絞められて意識を失った後、ナイフで刺し殺されていた。ドリーンは胸を6回、首を3回、キャスリーンは首を12回刺されている。遺体の写真が手元にあるが、誠に痛ましい限りである。但し、性的に虐待された痕跡は見つからなかった。

 現場付近にはいくつかの証拠が残されていた。まず、犯人が運転していたと思われるトラックのタイヤ痕。そして、ドリーンの防毒マスク・ホルダー。これには犯人のものと思われる指紋が残されていた。更に、「RA1019」とのランドリー・タグのついたカーキ色のハンカチーフ。これは被害者の所持品ではないので、犯人が落したものと思われる。

 やがて警察に重要な証言が寄せられた。12歳の少年が軍用トラックに乗り込む少女たちを目撃していたのだ。彼はトラックに貼られた部隊の識別マークを憶えていた。それはサフォーク州ヨックスフォードに駐留する英国砲兵隊のものだった。
 かくしてタイヤ痕からトラックが特定され、その運転手だったハロルド・ヒル(26)が逮捕された。その指紋は防毒マスク・ホルダーに残されていたものと一致した。「RA1019」とのランドリー・タグも彼の所持品から発見された。最早云い逃れは出来なかった。

 法廷において、ヒルは精神異常を理由に無罪を主張したが、この抗弁は通らずに有罪となり、1942年5月1日に絞首刑により処刑された。

 この事件は明確な動機が不明なため、当時の人々からは不思議に思われていたようである。どうして少女たちは殺されたのか、と。しかし、多くの連続殺人事件を見て来た我々からすれば、快楽殺人であることは一目瞭然だ。この男は幼気な少女を惨殺することで性的快楽を得ていたペドフィリアのサディストだったのである。

(2012年10月19日/岸田裁月) 


参考資料

http://www.murder-uk.com/
http://murderpedia.org/male.H/h/hill-harold.htm


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