アーサー・ジョーンズ
Arthur Albert Jones (イギリス)



 1960年10月28日、ロンドン近郊のヘストンで12歳の少女、ブレンダ・ナッシュが帰宅途中に行方不明になった。午後10時頃に友人に目撃されたのを最後に消息が途絶えてしまったのだ。
 1ケ月半後の12月11日、彼女の遺体がハンプシャー州イェイトリーの森の中で発見された。死因は絞殺だった。

 実は同年の9月に同じ地域で少女が誘拐され、性的に虐待される事件が発生していた。被害者によれば、犯人はヴォクスホール製の黒い車に乗っており、車内にはペパーミントが飾られていたという。同一犯の犯行と睨んだ警察は、付近一帯の5000台以上にも及ぶ同種の車とその所有者を調べ上げた。その中にアーサー・ジョーンズ(44)がいた。その車内にはペパーミントが飾られた。

 彼の犯行であることを裏づける証拠はこの他にもあった。ブレンダの遺体が発見されたその日の翌日、ロンドンのウエスト・エンドで美容師をしている若い女性が、このようなことを警察に通報していたのだ。
「同僚の女性から聞いたのですが、彼女の叔父さんから電話があって、いざとなったら10月28日のアリバイを証言してくれと頼まれたんだそうです」
 その「叔父さん」こそがアーサー・ジョーンズだったのだ。

 かくして、12月28日に逮捕されたジョーンズは、まず9月の事件で裁かれて、14年の刑が云い渡された。
 その後、ジョーンズは愚かなことに、収監仲間のイアン・ロバーツにブレンダ殺しを自慢してしまった。これが看守に密告されて、新たな証拠を提供してしまったジョーンズは、殺人容疑でも有罪となって終身刑を宣告された。

 アリバイ工作を依頼したり、殺しを自慢したりしなければ、ひょっとしたら証拠不十分なケースだったのかも知れない。まったく口は災いの元である。

(2012年10月23日/岸田裁月) 


参考資料

http://www.murder-uk.com/
http://www.murderpedia.org/male.J/j/jones-arthur-albert.htm


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