コリン・ピッチフォーク
Colin Pitchfork (イギリス)



コリン・ピッチフォーク

 DNA鑑定が初めて犯罪捜査に導入された事件である。紆余曲折はあったものの、結果として犯人逮捕に結びついた。また、DNA鑑定が冤罪判決を未然に防いだ事件としても知られている。

 1983年11月22日早朝、レスターシャー州レスター近郊の町、ナーボロウで高校生のリンダ・マン(15)の遺体が発見された。彼女は前日の午後7時30分頃、友人宅からの帰宅途中に行方不明になっていた。死因は絞殺である。強姦された後に、自身のスカーフで絞め殺されたのだ。
 精液から犯人の血液型が特定されたが、だからといって犯人逮捕に結びつくものではない。目撃者もいない。捜査は難航した。

 2年半後の1986年7月31日、隣町のエンダービーで、同じく高校生のドーン・アシュワース(15)の遺体が発見された。彼女もまた強姦後に絞殺されていた。リンダ・マンの件と極めて似ていることから、同一人の犯行と思われた。

 間もなく、目撃情報などから17歳の青年が容疑者として逮捕された。取り調べにおいて、彼はドーン・アシュワースの殺害は認めたが、リンダ・マンの殺害は認めようとはしなかった。そこで導入されたのがDNA鑑定である。最新の技術で犯人を特定しようとしたのだが…なんと、その青年はドーン殺しの犯人ではなかった。精液とのDNAの型が一致しないのだ。かくして捜査はふりだしに戻ってしまった。

 もう、こうなったらDNA鑑定でもって徹底的に捜査しようということで、付近に住む5000人近くにも及ぶ疑わしき野郎どものDNAサンプルが採取された。検査には半年もかかったが、該当者は一人もいなかった。それもその筈。実は犯人は巧みな方法でDNA鑑定を免れていたのである。

 そのことが発覚したのは1987年7月のこと。或る女性が警察に通報したのだ。
イアン・ケリーという男がパブでこのように吹聴していたんです。『DNA鑑定だか何だか知らないけど、あれの代役を同僚に頼まれたんだよね。なんでも強姦の前科があるとかで、引っ掛かったらヤバいってんで、200ポンドで請け負ったよ』」
 早速、イアン・ケリーを尋問したところ、タレ込みは事実であることを認めた。彼に「なりすまし」を依頼したのはパン屋の同僚、コリン・ピッチフォーク(27)だった。

 彼のDNAは2件の殺人のそれと一致した。かくして、終身刑を宣告されたピッチフォークは、現在も獄中にいる。

(2012年11月1日/岸田裁月) 


参考資料

http://www.murder-uk.com/
http://en.wikipedia.org/wiki/Colin_Pitchfork
http://www.localhistories.org/pitchfork.html
http://www.murderuk.com/one_off_colin_pitchfork.html


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