ロジャー・セヴァース
Roger Severs (イギリス)



ロジャー・セヴァース

 1993年11月18日、デレク・セヴァース(68)とその妻のアイリーン(69)の失踪届けが彼らの友人たちにより提出された。ここ5日もの間、全く連絡が取れないという。同居する息子のロジャー(38)を問いただせども「旅行に出掛けた」の一点張りだ。だが、セヴァース夫妻は約束をすっぽかして旅行に出掛けるようなチャランポランな性格ではない。むしろチャランポランなのは、もう中年だというのに未だにプー太郎の息子の方なのだ。友人たちは夫妻がこのところ息子と揉めていることを知っていた。だからこそ心配して失踪届けを提出したのである。

 デレク・セヴァースはかつては優秀なビジネスマンだった。取締役にまで登り詰めたが、今では引退して、レスターシャー州ハンブルトン・ホールの自宅で悠々自適の暮らしを送っていた。そんな彼にとって唯一の悩みが一人息子のロジャーだった。甘やかして育てたのがいけなかったのか、いい歳になっても定職につかず、アルバイトをしても数ケ月と続かなかった。それでも可愛い一人息子なので、小遣いをせびられれば快く与えたし、借金の肩代わりをしてあげたことも何度もある。ところが、このたびは堪忍袋の緒が切れた。あろうことか、ロジャーが妊娠させてしまった恋人を無下に捨てていたのである。そのことを知ったデレクは息子を厳しく問いただした。
「それで、その女性と子供はどうなったんだ!?」
 ロジャーは悪びれるでもなく答えた。
「子供は産まれたよ。もう2歳になる筈だ」
 なんと、夫妻が知らないところで孫が産まれていたのだ。これにはさすがのデレクも怒り狂った。
「その女性と結婚しなさい! そして、孫を連れて来なさい!」
「いやだよ。あの女とはもう終わったんだ」
「駄目だ! さもなくば勘当だ! この家から出て行きなさい!」
 と、こんな諍いが親子の間であったばかりだったのだ。殺人の動機としては申し分ない。

 翌日の11月19日、警察はロジャー・セヴァースを殺人容疑で逮捕することで身柄を押さえ、自宅を徹底的に捜索した。
 まず、居間のカーペットがなくなっていた。おそらく血が付着したために処分したのだろう。事実、庭には寸断したカーペットを焼却した痕跡が残されていた。
 また、浴室では飛散する血痕が確認された。鈍器で撲殺した際に飛び散ったものと思われる。
 更に、廊下のカーペットには黄色い繊維の「道」が残されていた。おそらく遺体を黄色い布で包んで引きずった際に出来たものだろう。
 決定的だったのは、自家用車の車体やタイヤに残されていた泥だった。デレク・セヴァースは綺麗好きで知られていて、汚れた自家用車を洗わずに放置する筈がない。この泥はズボラな息子が遺体を遺棄する際についたものに違いない。早速、その成分を調べ上げ、当たりをつけた地域を捜索したところ、遂に土中に埋められた夫妻の遺体を発見した。土の色がそこだけ違っていたので、見つけるのは比較的容易だった。ロジャーはまず窪みに両親の遺体を置き、その上に庭から運んだ土を盛ったのだ。だから、そこだけ土の色が違っていたのである。
 ちなみに、夫人の遺体は黄色いブランケットに包まれていた。黄色い繊維の「道」は彼女を引きずることで出来たものだったのだ。

 犯行当日のスケジュールはこのようなものだった。
 1993年11月13日午後1時30分頃、アイリーンはチャリティー・バザーからの帰宅直後、浴室でステーキ用の木槌で8回殴られて殺害された。デレクがパブから帰宅したのは午後3時30分頃。彼もまた居間で木槌で10回殴られて殺害された。
 その後、ロジャーは遺体を遺棄し、証拠隠滅を図ったわけだが、根がズボラでチャランポランなものだから、自家用車を洗車しなかった。そのために遺体が発見されて、親殺しの容疑で起訴されるに至った次第である。

 かくして、ロジャー・セヴァースは2件の殺人容疑で有罪となり、終身刑を宣告された。馬鹿息子の惨めな末路である。

(2012年11月6日/岸田裁月) 


参考資料

http://www.murder-uk.com/
http://www.bbc.co.uk/crimewatch/solved/howtheycaught/parent_killer.shtml
http://www.truecrimelibrary.com/this_week_in_crime.php?id=395


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