ジョン・タナー
John Tanner (イギリス)



レイチェル・マクリーンとジョン・タナー

 1991年4月半ば、オックスフォードにおいてセント・ヒルダズ・カレッジの学生、レイチェル・マクリーン(19)が行方不明になった。4月14日を最後にその消息が途絶えてしまったのだ。失踪届が出されたのは4月19日になってからだ。そして、4月22日にはその失踪がマスコミにより報道された。

 まず関与が疑われたのがレイチェルの婚約者、ジョン・タナー(22)だった。ノッティンガム大学に通うこの男は、レイチェルが失踪したその日に彼女と会っていたのだ。尋問されたタナーは関与を否定し、このように説明した。

「4月14日の午後5時頃、私とレイチェルはバスでオックスフォード駅に向かいました。私は6時30分発の列車でノッティンガムに戻る予定でした。彼女は見送りに来てくれたのです。
 駅のビュッフェで食事をしていると、若い男が近づいて来ました。どうやらレイチェルのカレッジでの友達のようでした。男は『車で彼女を家まで送ってあげるよ』と云いました。私は2人に別れを告げて列車に乗りました。後のことは知りません」

 5月2日、改めてレイチェルの下宿先を捜索した捜査官は、寝室の床板が不自然なことを発見した。剥がして床下を探したところ、レイチェルの遺体を発見した。死因は絞殺だった。

 その日のうちに逮捕されたタナーは、間もなく犯行を自供した。
「彼女から婚約の解消を告げられたのです。他に男がいることを仄めかしていました。カッとなった私は、気がついたら彼女の首を絞めていたのです」

 かくして、ジョン・タナーは殺人容疑で有罪となり、終身刑を宣告された。そして、2003年に仮釈放されて、祖国のニュージーランドに帰国した。

(2012年11月23日/岸田裁月) 


参考資料

『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
http://en.wikipedia.org/wiki/Murder_of_Rachel_McLean
http://www.murder-uk.com/


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