カーラ・フェイ・タッカー
Karla Faye Tucker (アメリカ)



カーラ・フェイ・タッカー

 カーラ・フェイ・タッカーは1959年11月18日、テキサス州ヒューストンで生まれた。父親のラリーは港湾労働者だった。
 幼い頃の彼女は自分のことを「みにくいアヒルの子」のように感じていたという。というのも、2人の姉がブロンドの青い目だったのに、自分だけがブルネットの黒い目だったのだ。
 両親の仲はお世辞にも睦まじいとは云えなかった。何度も別居を繰り返し、カーラが10歳の時に遂に離婚したわけだが、その際に彼女は母親のキャロラインから衝撃の事実を明かされている。
「あなたのお父さんは他の人なのよ」
 つまり、彼女は母親の不倫の末に授かった子供だったのだ。だから、彼女だけは姉とは違う「みにくいアヒルの子」だったのである。

 3人の娘は父親に引き取られたが、カーラだけは母親に引き取られることを望んでいた。そりゃそうだろう。父親とは血が繋がっていないのだから。しかも、離婚のそもそもの原因は彼女が生まれたことなのだ。何をされるか判らない。彼女は次第にグレ始め、大麻やヘロインに手を出した。わずか11歳の時のことである。当然ながら、自傷的な性行為もその頃から始まっていた。

 14歳の時、彼女は家出して、売春をしながらオールマン・ブラザーズ・バンド等のサザン・ロックの追っかけをしていた。その過程でバイカー仲間と知り合い、恰もかつてのヒッピーのようにドラッグ三昧の日々を送っていた。


 1983年6月14日未明、カーラは恋人のダニー・ギャレットと共にジェリー・リン・ディーン(27)のアパートに押し入った。目的は彼の車(シボレー・エルカミーノ)を奪うことだった。
 まず、カーラがベッドで就寝中のディーンに馬乗りになった。急なことに動転したディーンは彼女を引き離した。そこにギャレットが介在し、ハンマーでディーンの後頭部を打ち据えた。ギャッと叫んでディーンはその場に崩れ落ちる。そして、ギャレットが車の鍵を探している間に、カーラがディーンをつるはしで28回も貫くことで殺害したのだ。
 やがてカーラは寝室にもう一人いることに気づいた。ベッドの脇で震えていたその女は、ディーンがその晩のパーティーでナンパしたデボラ・ソーントン(32)だった。カーラは彼女にもつるはしを振り降ろした。内の一撃はデボラの心臓を貫通した。その際にカーラは「性的な絶頂を感じた」と後に述べている。

 約1ケ月後の7月20日、カーラ・タッカーとダニー・ギャレットは逮捕された。ヤク中のバカなので、己れの「武勇伝」を方々に云い触らしていたらしい。それが警察に密告されて、遂に逮捕に至ったのだ。そして、共に殺人容疑で有罪となり、死刑を宣告された。

 さて、話はこれで終わらない。この後、カーラを死刑にするべきではないとの論争が巻き起こったのだ。獄中で彼女は聖書の信仰に目覚め、己れの所業を贖罪し、刑務所の牧師と結婚した旨が報じられたからだ。そんな人物を死刑にしてしまってよいのだろうか? 多くのキリスト教信者から助命嘆願書が寄せられ、当時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世までもが死刑の撤回を要請した。しかし、州知事のジョージ・W・ブッシュ(後の大バカ大統領)は恩赦を認めず、カーラ・タッカーは1998年2月3日に薬物注射により処刑された。38歳だった。

 ちなみに、相棒のギャレットはその論争の最中の1993年に肝臓病で死亡している。

(2012年12月12日/岸田裁月) 


参考資料

http://en.wikipedia.org/wiki/Karla_Faye_Tucker
http://www.trutv.com/library/crime/notorious_murders/women/tucker/1.html
http://www.trutv.com/library/crime/serial_killers/partners/team_two/4.html
http://murderpedia.org/female.T/t/tucker-karla.htm


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