クララ・ボウ
CLARA BOW
(1905-1965)

《主な出演作》
*モダンガールと山男(1926)
*フラ(1927)
*つばさ(1927)
*あれ(1927)
*暗黒街の女(1928)
*底抜け騒ぎ(1929)
*パラマウント・オン・パレイド(1930)
*フープラ(1933)



『あれ』

「ヴァンプ」の時代が終わり、代わって登場したのがクララ・ボウである。
 クララは「ヴァンプ」のおどろおどろしい人工美とは対照的に、健康的なお色気を売り物にした。チャールストンの陽気なリズムに合わせてはしゃぎまくるオツムの軽い女の子、「フラッパー」として売り出したのだ。これが当たった。1927年の『イット』(日本語で云う「あれ」、すなわちセックス・アピールそのものの意)が大ヒット、クララは一躍「イット・ガール」の愛称で国民的な支持を獲得する。

 クララの私生活は、映画と同様に華やかなものだった。彼女は多くのスターと浮き名を流した。その中にはまだ新人のゲイリー・クーパーや、ドラキュラ俳優としてお馴染みのベラ・ルゴシもいた。かかりつけの医師ピアソン博士を寝取り、博士の妻から妻権侵害を理由に3万ドルの慰謝料を搾り取られたこともある。

 性豪クララの武勇伝の一つに、南カリフォルニア大学のフットボール・チーム全員を順番にお相手したという豪快なものがある。この中にマリオン・モリソンという二枚目がいた。後のジョン・ウェインである。

 クララはギャンブル狂としても知られていた。下手の横好きというやつで、毎晩のようにカードに興じては大金をスっていた。リノのカジノでは大失敗をやらかした。彼女は一枚100ドルのチップをいつものように50セントだと思っていたのだ。結局、大負けした彼女は2万4千ドルの小切手に署名させられたが、翌日にはその決済を拒んだ。カジノの用心棒が彼女のオフィスに乗り込むと、
「ないものは払えないっていってんだよ!」
「なにおぉ、このアマ!。俺をナメると承知しねえゾ!」
「おや、どおするってんだい?」
「払わねえなら、てめえのツラに硫酸ぶっかけてやらあ!」
 この脅し文句を切っ掛けに刑事たちがなだれ込む。賢明なクララはいざという時のために、刑事たちを隣の部屋に待機させていたのだ。哀れ用心棒は恐喝の現行犯で逮捕され、クララは借金を免れた。しかし、新聞はクララの支払拒絶を書き立てた。彼女の人気に陰りが見え始めた。

 ここでウォール街が大暴落する。日々のパンを求めて行列する人々にとって「フラッパー」は既に過去のものだった。
 トーキーの到来も彼女の足を引っ張った。ロングアイランドに大邸宅を構える上流階級の奔放な娘。これがサイレント時代のクララに観客が抱いたイメージだった。そんな彼女の口から発せられたのは下品なブルックリン訛りのアヒル声。観客は幻滅した。

 こんなエピソードもある。クララの初トーキー作品でのこと。音響マンはこのブルックリン娘の威勢のよさを知らず、目盛りを下げておかなかった。クララは開口一番、元気よく叫んだ。
「ねえ、みんな!」
 途端、録音室の真空管がすべて吹っ飛んだ。

 やがて、彼女の女優生命を葬る事件が勃発する。1930年、クララの秘書デイジー・デヴォーが彼女の過去4年間に渡る男性遍歴をスキャンダル誌に売り渡したのだ。デイジーは結局、クララの銀行口座から大金を着服していたことが発覚、監獄送りとなったが、クララは取り返しのつかない痛手を負った。この「淫売」の排斥運動が各地で頻発、パラマウントは已むなく契約を御破算にした。
 失意のクララはカウボーイ俳優レックス・ベルと結婚、ネバダの牧場に隠居した。ここでアルコールと睡眠薬の日々が続く。やがて神経衰弱を起こして入院、その後の人生のほとんどをサナトリウムで過ごした。


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