評価 ★

ならず者
THE OUTLAW

米 1943年 103分
製作 ハワード・ヒューズ
監督 ハワード・ヒューズ
脚本 ジュールズ・ファーズマン
原案 ベン・ヘクト
   ハワード・ヒューズ
出演 ジャック・ビューテル
   ジェーン・ラッセル
   ウォルター・ヒューストン
   トーマス・ミッチェル


 大富豪ハワード・ヒューズによる無駄遣い第2弾。この映画にどうして300万ドルも要したのか?。すべてはヒューズの偏執狂的な性格の為せる業であった。

『地獄の天使』大赤字の後、ヒューズはしばらく鳴りを潜める。本業のヒューズ・ツール社が傾きかけていたので、そちらの方が忙しかったのだろう。『犯罪都市(フロント・ページ)』(1931)や『暗黒街の顔役』(1932)ではプロデュースに徹している。
 35年に念願のヒューズ・エアクラフト社を設立したヒューズは、己れが設計した飛行機の性能を証明すべく、ニューヨーク・ロサンゼルス間を7時間29分で飛行したり、91時間で世界一周したりと、数々の飛行記録を塗り替える。39年にはTWAを買収し、初の大陸横断旅客飛行の事業を成功させる。この人、こと飛行機に関しては天才的なのだ。だけど映画はからっきしだよ三級品。彼が口を出す映画はことごとく大赤字なのである。

 そんな彼が久々に映画製作に乗り出したのが、この『ならず者』である。
 39年末から製作が開始されたこの映画は、当初は『ビリー・ザ・キッド』というタイトルだった。ヒューズと共に物語を作り上げたのは、『フロント・ページ』の原作者にして『暗黒街の顔役』の脚本家、ベン・ヘクト
監督はやはり『暗黒街の顔役』のハワード・ホークスである。
 このままなにごともなければ、数ヶ月で上映にまで漕ぎ着けたことだろう。ところが、撮影開始から2週間が過ぎた頃、ラッシュを見たヒューズが口を挟んだ。
空に雲がないじゃないか。少々手間取るかも知れないが、雲を浮かばせてくれないか」

 如何にも飛行家らしい注文である。
 ホークスは『地獄の天使』がどれだけの時間と金を無駄にしたかを知っていた。この先、何年にも渡って雲を求めてロケ地のアリゾナを駆けずり回るのかと思うと気が滅入った。遠回しに「俺は暇じゃないんだよ」と告げると、監督の座をヒューズに譲る。賢明な選択である。

 撮影はそれから9ヶ月も続いた。昼間は本業で忙しいヒューズは、夜間でなければ撮影できなかったからだ。故にすべてがスタジオでの撮影。雲もへったくれもありゃしない。いったい何のための監督交替だったのか。
 相次ぐ撮り直しも撮影を大幅に遅らせた原因である。とにかくヒューズは病的なまでに撮り直した。10回や20回はざらで、或る時などは109回もリテイクしたというから呆れてしまう。つまり、メカマニアのヒューズは人を人と思っていない。機械と同じように接するのだ。

 編集には2年もかかった。これにはヒロインのジェーン・ラッセルが関わっている。
 ヒューズは『地獄の天使』でヒロインを演じたジーン・ハーロウが一躍大スタアになったことを誇りにしていた。ところが、彼女はその人気絶頂の37年6月7日に急死してしまう。そこで「第2のハーロウ」として白羽の矢が立てられたのが、おっぱいぶるるんのジェーン・ラッセルだった。そのおっぱいの魅力を最大限に引き出すために、ヒューズは自らブラジャーを考案し、映倫と戦った。つまり、おっぱいのために2年もの年月が浪費されたのだ。実に贅沢なおっぱいである。

 結局、上映まで4年も費やした「ビリー・ザ・キッド』はタイトル変更を余儀なくされた。製作中の41年に同じタイトルの映画が上映されてしまったからである。また、おっぱい問題でゴネている間に、ジェーン・ラッセルはピンナップ・ガールとしてすっかり有名になっていた。せっかく映画で売り出そうとしていたのに、これは大きな誤算だった。
 試写の評判も散々だった。
「取り柄は胸の谷間だけ」
「二つの意味でバスト(胸と失敗の意)」
 広報担当者は話題作りのために上映禁止運動を仕掛けて、初日の動員記録を更新したが、ヒューズはすぐにフィルムを引き上げてしまう。46年と50年に再編集版が公開されたが、300万ドルにも及ぶ製作費を回収できなかったことは云わずもがなである。


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