小人の饗宴
AUCH ZWERGE HABEN KLEIN ANGEFANGEN
EVEN DWARFS STARTED SMALL

新西ドイツ 1970年 96分
監督 ヴェルナー・ヘルツォーク
脚本 ヴェルナー・ヘルツォーク
出演 ヘルムート・ドーリンク
   ゲルト・ギッケル
   パウル・グラウアー
   ギーゼル・ヘルトビヒ


 トッド・ブラウニングの伝記『『フリークス』を撮った男』(水声社刊)にはこのような記述がある。『フリークス』撮影中のことである。

「シャム双生児と小人だけは、食堂内で他のフリークスたちに無視された。(中略)映画で見せた団結とは全く対照的に、彼らは普通の人間と同じように、虚栄心や自尊心があり、競争意識も持っていたのである」。

『フリークスたちのプロとしての嫉妬心には驚いた。誰一人として、互いに他の者を表現する言葉を吐かなかったのだから。(中略)彼らも皆、サイドショーの世界ではスターだったんだ。というのもサイドショーでは本物の怪物が何人もいるなんてことはなく、たいていの者は皆、それほど目立たない畸形の者たちなんだよ。私のもとには12人のスター、それも世界でも珍しいフリークスたちがいたんだ。だから、今までハリウッドのスターが受けたことのないような機嫌取りをしなきゃならなかった』(トッド・ブラウニング)

 この記述を読んだ私は「そうだろうそうだろう」と嬉しくなった。『フリークス』の邦題に「神の子ら」とかサブタイトルを付けたりだとか、そうした畸形や障害者を神聖視する態度にキナ臭いものを感じていたからだ。障害者にだって性欲はあるし、畸形だって差別する。
 人である以上、あたりまえのことなのである。
 その「あたりまえのこと」をことさらに描き出したのが本作である。

 小人ばかりの施設で叛乱が起きる。院長(これまた小人)を監禁して、木に火をつけたり家畜の豚を殺したり自動車を崖から落としたりと、とにかくメチャクチャに暴れまわる。
 そして、差別が始まる。
 当初は最も背の低い男女をカップルに見立てておちょくり、
「ヒューヒューだよお」
 とベッドインを唆す類いのかわいいものだったが、その鉾先はやがて盲(これまた小人)へと向う。彼らは決して「神の子ら」などではない。我々と同じ人間である。

 筒井康隆には『人世に三人在れば』という未発表の作品があるという。ホステス全員が身体障害者のクラブを舞台にしたブラックユーモアだそうだが、この映画とテーマが通じる。
 人が三人寄れば必ず差別が始まる。
 それは悪いことだからやめよう、というのはまた別の話。人間とは必ず差別してしまうものなのだ、例え小人でも。
(という、この締めの一文が差別的だ。ははは)


 

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