評価 ★★

ゴースト・イン・京都
THE HOUSE WHERE EVIL DWELLS

米 1982年 88分
監督 ケヴィン・コナー
原作 ジェームズ・ハーディマン
出演 エドワード・アルバート
   スーザン・ジョージ
   ダグ・マクルーア
   服部まこ


 デタラメ日本文化が満載のバカ映画かと思っていたら、意外にも文化考証はマトモだった。しかし、肝心の内容の方がまるでなっておらず、バカ映画であることには変わりがない。

 あらすじは概ね以下の通りである。
 日本について研究するために来日した作家のテッドは、妻のローラと娘と共に古い武家屋敷で暮らし始める。
 この屋敷には忌わしい過去があった。200年ほど前のこと、妻の不貞を目撃した主が、妻と間男を斬り捨てて、自らも腹を裂いて自害したのである。以来、幽霊屋敷と噂され、近隣の者から疎まれていたのだ。
 最初は鼻で笑っていたテッドだが、次々と襲い来る怪現象に家庭の平穏は脅かされる。夫婦喧嘩が絶えなくなり、やがてローラが悪霊に唆されて、テッドの友人と不貞を働いてしまう。そのことを知ったテッドは、我を忘れて二人を斬り捨て、自らも腹を裂いて自害するのであった。

 ビデオ・パッケージには、
「ハリウッド・ホラー映画界が、京都を舞台に日本の亡霊を描く異色作。東映京都撮影所と日本人スタッフを使ってのロケは、日本の怪談の真髄により近付こうとするスタッフの意欲を十分に伝えている」。
 とあるが、果たしてそうだろうか?。
 日本の怪談は概ね「因果応報」で成り立っている。悪漢が己れの悪事ゆえに末代まで祟られるのが日本の怪談の真髄である。本作のように、異国からやってきた無関係な者を巻き込むのは極めて日本的ではない。
 本作のような「無差別攻撃」の悪霊はむしろ、封建的な背景を持たないアメリカならではのものであろう。
 はっきり云おう。
 本作は明らかに「アミティヴィル・ホラー」を映画化した『悪魔の棲む家』の二番煎じに過ぎない。更に、主人公が作家ということで『シャイニング』も少し入っている。要するに、以上の2作品を模倣して、舞台を京都に置き換えただけの、志の低いエクスプロイテーションに過ぎないのである。

 怪現象の数々も『悪魔の棲む家』並みにショボくておはなしにならない。「スープに浮かぶ悪霊の顔」というのはまだいいとしても、最大の怪現象が「沢蟹の大群の襲来」とは何たることか?(屋敷の近くに川はない)。挙げ句の果てに、クライマックスを飾るのが悪霊に憑衣されたテッドと間男の「カンフー合戦」。どうしてサムライがカンフーに長けているのかと小一時間問いつめたい。
 ちなみに、監督は『地底王国』『地獄のモーテル』でお馴染みのケヴィン・コナーである。本作を含めた3作品を連続上映すると、場末の安っぽさを満喫できることを保証する。


↑半透明の悪霊がたびたび登場して失笑を誘う。


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