女囚701号/さそり

東映 1972年 87分
監督 伊藤俊也
原作 篠原とおる
脚本 神波史男
   松田寛夫
出演 梶芽衣子
   夏八木勲
   横山リエ
   渡辺やよい
   扇ひろ子
   三原葉子
   室田日出男
   沼田曜一
   渡辺文夫


「女囚映画」というジャンルが存在する。元祖はロジャー・コーマン製作の『残酷女刑務所』だと思われる。前半は残酷且つエロチックな拷問やリンチの数々、そして、後半は女囚たちの叛乱。『ナチ女収容所/悪魔の生体実験』から『チェーンヒート』に至るまで、すべてこのフォーマットに乗っ取って製作されている。本作もまたしかりである。
 しかし、本作が単なる「女囚映画」に終わっていないのは、「女囚映画」が集団劇であるのに対して、本作はあくまで松島ナミという一人の女の復讐劇だからである。

 開巻早々、脱獄している松島ナミ=さそり。しかし、無念のうちに捕らえられ、不潔極まりない独房へと入れられる。
 ナミは処女を捧げた麻薬Gメン杉見(夏八木勲)の囮捜査に協力するも裏切られ、ヤクザどもに輪姦された上に、ボロきれのように捨てられた。復讐の鬼と化した彼女はデバ包丁で杉見を襲い、現在、こうしてムショに入れられているのである。
 杉見はナミの存在を恐れ、ムショでの抹殺を画策する。所長の郷田(渡辺文夫)はナミへの拷問を執拗に続けるが、ナミはそのたびに頭脳プレイで反撃。ムショの秩序は次第に悪化する。粛正を図った郷田は女囚全員に懲罰を敢行。ところが、これが逆効果で、女囚たちの叛乱を招く。
 叛乱に乗じて脱獄したナミは、例のさそりルックで杉見に対面。デバ包丁で内臓をえぐり、復讐を遂げるのであった。


 と、文章化してしまえばたわいもない話であるが、これが監督第1作の伊藤俊也の外連味タップリの演出が奏功して、まったく飽きない1時間半である。
 例えば、ナミが杉見に裏切られる場面。強姦されたナミの背景に回り舞台を配し、杉見の裏切りをワンカットで見せてしまう。
 それから、女囚三原葉子がナミを襲うシーン。ガラスで負傷した三原の顔が歌舞伎の隈取りのように変貌する(左写真)。照明効果とも相まって、新東宝の怪談映画を連想させるシーンである。
 こうした映像的遊びが随所に見られ、伊藤監督の非凡な才能に感嘆させられる。

 伊藤俊也監督の優れた演出も然ることながら、本作を成功に導いたのは梶芽衣子の存在が大きい。しかし、意外にも伊藤監督は梶を適役とは思わなかったという。前作『銀蝶渡り鳥』での梶の演技が気に入らなかったのだ。

「だから梶君と最初に会った時、僕も若かった.....というか今もって反省している点なんですが、僕は徹底的に相手に自分の気持ちを正直に話すことが相手に対する誠意だと考えるところがあって、僕の彼女に対する『銀蝶』での不満を素直に話して、あれでは僕の『さそり』はやれないという話を一方的にしたんです。相当彼女の自尊心を傷つけたと思いますね。
 それで次の日だったか、衣装合わせがあって、周りはハラハラしていたし、僕も、もう来ないかも知れないなと思っていたら、彼女は実にスンナリとした表情でやって来たんです。考えれば、彼女も僕と似たような性格だったんでしょう。いざ撮り始めると、彼女しかいないという感じになりましたね」

 梶芽衣子の男まさりで勝ち気な性格が「さそり」というキャラクターにマッチしたのである。伊藤監督は波乱万丈な船出を「幸せな出発」と表現している。

「主題曲の『怨み節』の録音の時に、コブシのまわし方が違うと彼女に注文を出したんですよ。そしたら彼女はツカツカってブースに入って来て、じゃあ、監督、歌ってくださいッて(笑)。そういうキャラクターなんですよね」


 この他の個性的なキャストについても簡単に触れておこう。
「さそり」を姉のように慕い、身代わりとなって死んでいくユキを演じるのは故蔵馬夫人、今はちゃんこ屋のおかみの渡辺やよいだ。伊藤監督はこのユキという救われないキャラクターが気に入っていたようで、第三部『けもの部屋』で復活させている。
 そのユキに殺される看守に沼田曜一。中川信夫監督『地獄』での怪演が印象に残る。本作でもスケベで下品な看守を好演している。
「さそり」の暗殺を請け負う女囚片桐には横山リエ。大島渚監督、横尾忠則主演の『新宿泥棒日記』での全裸の切腹シーンが忘れられない。
 同じく大島組からは渡辺文夫。「さそり」を執拗にイジメ抜く鬼所長を演じる。彼は今回な死なないが、第2部『第41雑居房』で「さそり」の最終ターゲットとなる。
 そして、その渡辺所長をメッカチにするのが三原葉子。新東宝の代表的なグラマー女優であるが、この頃は既に三十半ば。貫禄十分で、牢名主を演じている。
 他に、女囚たちに強姦される看守役で、若き日の小林捻侍が出演している。


 

BACK