フライング・ソーサーズ・オーバー・ハリウッド
〜ザ・プラン9・コンパニオン
Flying Saucers Over Hollywood
〜the Plan 9 Companion

米 1992年 110分
アトミック・ピクチャー
出演 ヴァンパイラ
   グレゴリー・ウォルコット
   フォレスト・J・アッカーマン
   ジョー・ダンテ
   サム・ライミ
   スコット・スピーゲル


 

 最近、久しぶりにエドワード・D・ウッドJr作品を立続けに鑑賞したのだが、「本当にダメな人だったんだなあ」と改めて痛感した。例えば、『怪物の花嫁』の警察署のシーン。背後の壁に影が3つもある。3人いれば9つもある。壁がうるさくて仕方がない。どうってことないシーンでも、彼が撮るととてつもなくヘンテコになる。これは一種の才能である。

 そんな彼の才能が評価され始めたのが80年代に入ってからのことで、その伝記が出版されて、94年には『エド・ウッド』として映画化。今日では「史上最低の映画監督」として誰もが知る存在であるが、伝記と映画の橋渡しをしたのがこのドキュメンタリーである。これさえ見ればエドワード・D・ウッドJrという人とプラン9・フロム・アウタースペースという映画がどのようなものだったのかが把握できるという優れものだ。そして、『プラン9』という映画が如何にアメリカのサブカルチャーに浸透し、如何に愛されているかが判る。こうして2時間もののドキュメンタリーとして成立していること自体がそのことを如実に物語っている。

「あの家です。まさにあの家なのです」。
 とレポーターが指を差す(左写真上)。何のへんてつもない家である。しかし、『プラン9』を観ている者はここで爆笑するのである。かたや、観ていない者には何のことやらさっぱり判らない。サム・ライミスコット・スピーゲルが演じる「グルーチョ・マルクスのラジオ番組に出演するトー・ジョンソン」(左写真中)とかも、トー・ジョンソンを知らないとまったく笑えない。その意味で、視聴者を選ぶビデオである。
 しかし、一旦この世界を知ると病みつきになる。かく云う私も病みつきになった。ダメな映画は棄てていた私であったが、エド・ウッドに出会ってからは、積極的に拾うようになった。挙げ句に「最低映画館」を立ち上げるに至ったわけだからエド・ウッドさまさまである。

 まあ、そんな私も「プラン9」ナンバーの自家用車(左写真下)を乗り回すほどにはハマっていないわけだが。