ちょっと考えられない事件である。キム兄ならば「考えられへん!」と連呼することだろう。
ダービーシャー連隊を除隊したばかりのジョン・ハッチンソン(29)は、ノッティンガムのマシューズ家に間借りしていた。
1905年1月31日、まだ無職のハッチンソンは、その日の午後はパブで過ごし、かなり酔った状態でマシューズ家に帰宅した。午後5時頃のことである。すると、マシューズ夫人に頼まれた。
「これからちょっと出掛けるんだけど、息子を見ていてくれないかしら」
息子とは、まだ5歳のアルバート・マシューズのことである。ええ、結構ですよとハッチンソンはマシューズ夫人を送り出す。数時間後、夫人が帰宅すると、なんとアルバートは殺されていた。激しく殴打されて、首を切断されていたのである。
警察に理由を訊かれたハッチンソンはこのように答えた。
「アルバートが私に火かき棒を投げつけたんです。それでカッとなって我を忘れてしまいました」
いやいやいや、いくら我を忘れたからって、子供の首は切らないよ。というか、切れないよ。マトモな精神の持ち主ならば。
法廷における争点は、ハチンソンが精神異常か否かだった。弁護人は彼の家族の4人もが精神病院で自殺している旨を証拠として提出した。ところが、陪審員は精神異常とは認めなかった。おそらく処罰感情がそうさせたのだろう。かくして、ハッチンソンには死刑判決が云い渡されて、同年3月29日に絞首刑により処刑された。
(2012年10月21日/岸田裁月)
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