前作《蛇の道》の続編的な作品である。しかし、設定が微妙に異なるので、正式な続編とは云い難い。むしる、高橋洋が前作で創作した「新島」というキャラクターを黒沢清が再度起用し、もう一つ別の話を作り上げた、と見るべきであろう。
前作では高橋洋の緻密な脚本が完成されていたので、それを如何に映画として具体化するかに神経が注がれていたが、今回は監督自らが語り手なので「黒沢節=わけワカメ」が全開である。しかし、前作よりも怖い作品に仕上がっているから不思議だ。ひょっとしたら、黒沢作品の中で最も怖いかも。とにかく「恐怖映画」の一つの頂点に位置する作品であることは間違いない。
幼い娘を殺害された男、新島=哀川翔は、6年目にしてようやく犯人=寺島進を突き止め、拉致監禁する。そして、こんな話を語って聞かせる。
「お前、こんな話、知ってるか?。或る男がスカイ・ダイビングをした。途中で男は、パラシュートを付けていないことに気づいた。男は気が狂うほどの恐怖を味わった。そして、失神した。ふと眼を開けると、男はまだ空を落ち続けていた。もう、気が狂うことも、失神することもなかった」。
本作は、この寓話をそのまま映像化したような作品である。犯人を殺害した新島は、生きる目的を失ってしまった。彼にはもう、気が狂うことも、失神することもできなかった。ただただ、着地点まで落ち続けるより他なかった.....。
物凄い喪失感である。
前作の新島は、感情は欠落していたが、まだ目的を持って行動していた。然るに、本作では目的さえもないのである。
虚無の日常を送る中で、新島は旧友岩松=ダンカンと出会い、誘われるままに殺し屋家業に手を染めて行く.....。
目的を失った人間がどんどんと落ちて行く様が、神経を逆撫でするような不快な殺人描写を交えて、淡々と進行して行く。しかし、殺伐とした心象風景であるにも拘わらず、ダンカン一家の描写が妙にアットホームで、ここら辺は《ソネチネ》へのオマージュなのかな?。大杉漣も変な親分役で出ていることだし。
で、この映画の着地点。ダンカンも大杉漣もみんな死んで、だ〜れもいなくなっても哀川翔だけは生き残ってしまう。
それどころか、娘の亡霊が現れ、殺した筈の犯人までもが生き返ってしまう....。
なんじゃあこりゃあッ。
「わけワカメ」だが、娘の亡霊が現れるシーンは、本当に飛び上がるくらい怖いし、その殺害犯人=寺島進の再登場にはしばし唖然とさせられる。そして、あのシーツの木偶人形.....。黒沢清は恐怖表現の究極に到達した。
百聞は一見にしかず。とにかく、観るべし!。
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