いがらしみきおに《社会復帰したゾンビ》という題の作品がある。禿頭に眼鏡の親父が、飯を喰い、ナイター中継を楽しみながらビールを飲み、風呂に入り、風呂からあがってまたビールを飲む。それだけなのだが、すべてのコマの親父に矢印がついているのだ。つまり、こいつが「社会復帰したゾンビ」だという訳なのである。妙に可笑しくて、5分ほど笑い転げた記憶がある。
 以来「社会復帰したゾンビ」が私につきまとった。機会があるごとに「社会復帰したゾンビ」を思い出し、笑いをこらえるようになったのだ。悲しい時でも辛い時でも「社会復帰したゾンビ」とつぶやけば笑いが込み上げてくる不思議。親類の葬式でついつぶやいてしまった時には地獄を見た。故人は、あの親父にそっくりだったのである。

 ところで「社会復帰したゾンビ」という言葉の可笑しみは、ゾンビが社会復帰する筈がない、という点にあるのだが、あなた、実在しましたよ、「社会復帰したゾンビ」が。
 或る日のこと、寝っ転がって《世界不思議百科》という子供向けのインチキ本を読んでいると「4年間ゾンビだったフランシーヌと医者のドゥヨーン博士」というキャプションのついた写真が私の眼に飛び込んできた。
「うわあ、社会復帰したゾンビだあ」。
 と私は、思いもよらない再会に感動し、またしても5分ほど笑い転げてしまったのである。

 この本によれば、フランシーヌさんは1980年、ハイチのエリナイという村で白痴のようにさまよい歩いているところを保護された。発見された時は22歳だったが、彼女は18歳の時に確かに死んでいた。警察が発行した死亡証明書もあるし、埋葬もされた。つまり、彼女は「生ける屍=ゾンビ」だというわけなのである。
 こんなこと、本当にあり得るのだろうか?。にわかには信じられないが、ハイチでこのような「ゾンビ事例」は決して珍しいものではないらしい。