契約上のトラブルからカイテルをクビにしたコッポラは、新たな主演俳優にマーチン・シーンを迎えた。

「私は正直云って、健康に自身がなかった。36歳だったが不摂生をしていて、老いを感じていた。撮影に耐えられる自信はなかったが、16週ならなんとかなるだろうと出演を承諾した.....16週で終わらないことだとは夢にも思っていなかった」(マーチン・シーン)。

 撮影は10週目に突入していた。しかし、コッポラは遅れを取り戻すどころか、またもや取り直していた。プレイメイト慰問の場面である。今回交代させられたのはリンダ・カーター。《ワンダー・ウーマン》の「艶技」に、コッポラは首を縦に振らなかった。交代後のシンディ・ウッドは本物のプレイメイトだったのでバッチリで、交代させて正解だったが、しかしリスクは大きかった。この場面は何百人というエキストラを配した、非常に金のかかるものだったからである。

 コッポラの完全主義、芸術家としてのこだわりはまだまだ続く。今度はなんと、既に予定の16週も過ぎようとしているのに、結末のリライトを申し出たのである。
 ミリアスのオリジナル脚本では、クライマックスにカーツの部隊とベトコンが対決する予定だった。ウイラードとカーツは協力して戦い抜き、そして勝利する。

「あの結末は気に入らなかった。結局、勝利万歳で終わってしまう。倫理的な問題に何ら答えていない」(コッポラ)。

 たしかにその通りだが、何故もっと早く手を撃たなかったのか?。

「僕はミリアス=ルーカスの結末ではなく、《闇の奥》のそれに近づけたかった。ミリアスの脚本と原作をミックスし、更に僕自身のジャングルでの体験を加えよう。そう心に決めていた」(コッポラ)。

 決めていたのは結構であるが、迷惑なのは関係者である。



 翌日にもマーロン・ブランドの弁護士から電話が入る。以下はコッポラとプロデューサーとの電話での会話からの抜粋。

「ブランドが本気でそんなことを?。100万ドルは返さずに出演を取り消す?。僕がこんなに問題を抱えているのに?。ヘリはもう3度も撮影中に消えてしまった。撮影日を少し遅らせてもらうくらい何でもないさ。ブランドだって判ってくれる筈さ。何?。撮影中止?。誰が?。誰がそんなことを?。いいかい。この映画にはもう3年もかけて、撮影も16週目だ。中止する筈がないだろ?。たとえブランドが死んでも代わりはいくらもいるさ。レッドフォード、ニコルソン、パチーノ。他にも大勢いる。3週間誰かを確保できる筈だ。中止だなんてとんでもない話だ」。

 この騒動の直後の1976年5月18日、フィリピンをモンスーンが襲った。

「自然の天候も撮影に利用するつもりだった。だが、あんなに激しい嵐だとは予想してもいなかった」(コッポラ)。

 コッポラさん、台風をナメてもらっては困ります。スタッフが死ななかっただけでも儲けものです。
 とにかく、セットはすべて流されて撮影続行は不可能。再建までのしばしの間、クルーは帰国を余儀なくされた。
 降って湧いたような休息にコッポラは狂喜した。リライトのための時間ができたからである。しかし彼は、とうとう納得の行く結末を書くことはできなかった。

「或る晩、夫は悪夢にうなされていました。私が起こすと、こう云って頭を抱えるのです。映画の結末を観た。しかし、それは夢に過ぎなかった」(エレノア・コッポラ)。