ジョン・クリスティー
John Reginald Halliday Christie (イギリス)



ティモシー・エヴァンスと妻のベリル

 1948年11月30日、ウェールズの警察署に1人の男が出頭した。
「私は、妻を処分しました」

 ティモシー・エヴァンスだった。その供述によれば、11月10日、仕事を終えて帰宅すると、妻のベリルが死んでいた。堕胎用の薬を飲んだことが原因だった。動揺した彼は、遺体を階下に運び、下水道に棄てた。そして、故郷のウェールズに逃げたが、良心の呵責からこうして出頭した…。

 どうにもおかしな話である。帰宅したら妻が死んでいたからといって、それを下水道に棄てるバカが何処にいる? しかし、まあ、念のため、現場のロンドンに連絡して下水道を調べさせたが、遺体はどこにもなかった。
「おい、遺体はなかったって云ってるぞ」
「そんなバカな」という顔をした後、エヴァンスは供述を変えた。
「妻は下の階に住むジョン・クリスティーという男の堕胎手術を受けて死んだんです。このままでは俺も共犯になると云われて、それで妻の遺体を処分しました。まだ1歳の娘はクリスティーに預けています」
 この供述に基づき、彼が住むリリントンプレイス10番地のアパートを捜索した警察は、裏庭の洗濯場に隠されていた大小2つの遺体を発見した。妻のベリルと娘のジェラルディンだった。2人とも絞殺されていた。

 ロンドンに移送されたエヴァンスは、遺体の発見を知らされた。刑事は彼に1本のネクタイを見せて訊ねた。
「これに見覚えはあるかね?」
 それはジェラルディンの首に巻きつけられていたネクタイだった。エヴァンスは思わず呟いた。
「俺のネクタイだ…俺は自分のネクタイで我が子を殺してしまった…」
「お前が殺ったんだな?」
 呆然とするエヴァンスは、小さく頷いた。

 公判前は妻子の殺害を認めていたエヴァンスだったが、審理が始まると供述を一転させ、妻子はクリスティーに殺されたのだと主張した。しかし、陪審員を納得させることは出来なかった。エヴァンスには以前から虚言癖があり、また妻との喧嘩が絶えず、その深夜の怒鳴り合いが近所でも有名だったことが立証されてしまった。一方、証人台に立ったクリスティーは、身だしなみのいい善良な市民であることを印象づけた。
 陪審員はたった35分間の協議でエヴァンスの有罪を評決した。そして、1950年3月9日、エヴァンスは絞首刑に処された。




台所の壁から発見された遺体

 時は移って1953年3月24日、リリントンプレイス10番地のアパートの1階に引っ越して来たベレズフォード・ブラウンは奇妙なことに気づいた。台所の壁を叩くと、向う側が空洞のような音がするのだ。壁紙を破って懐中電灯で覗くと、人間の背中が見えた。
 うひゃあ。
 現場に駆けつけた警察は、台所の壁の裏から合計3体の遺体を発見した。いずれも女性だった。
 更に、床下からもう1体の女性の遺体を発見した。
 裏庭を掘り返すと、そこからも2体の白骨を発見した。合計6人である。
 帝都ロンドンの片隅で連続殺人が密かに行われていたことに捜査官たちは愕然とした。しかも、この場所には見覚えがある。そうだ。エヴァンスだ。ティモシー・エヴァンスが住んでいたのが、ここの3階なのだ。
「エヴァンスはどうなった?」
「もう処刑されました…」
 捜査官たちは震撼した。エヴァンスは無実だったのかも知れない。彼が真犯人だと主張していたクリスティーは、遺体が発見された1階のこの部屋につい先日まで住んでいたのだ…。
「クリスティーだ。ジョン・クリスティーを捜せ!」
 ジョン・クリスティーは直ちに指名手配されたが、その行方は杳として知れなかった。

 3月31日、パトニー橋付近を巡回するトマス・レジャー巡査は、テムズ川を眺めるみすぼらしい男に眼を止めた。
「こんなところで何してる? 仕事でも探しているのか?」
「失業者カードが発行されるのを待っているんです」
「名前は何という?」
「ジョン…ウォディントンです」
 不審に思った巡査は帽子を取るように指示した。禿げ上がったその頭には見覚えがあった。指名手配中のジョン・クリスティーだった。



ジョン・クリスティー

 ジョン・クリスティーは1898年4月8日、ヨークシャーで生まれた。父親は労働組合の活動家だった。
 少年時代のクリスティーはごく普通の少年だった。しかし、十代の頃に経験した二つの挫折が、その後の人生を決定づけることになる。
 まず、初体験の失敗である。経験豊富な女子とそういう仲になったというのに役が立たず、「玉なしレジー」と云い触らされてしまう。この屈辱ゆえに、彼は本格的なインポテンツになってしまうのである(この辺りの経緯はアンドレイ・チカティロとよく似ている)。
 そして、17歳の時に地元の警察で事務員として働いている時に、些細な盗みが見つかってクビになり、激怒した父親に家から叩き出されてしまう。
 女に笑われ、家からも見放された彼の心境たるや如何ばかり。自棄を起こすのも無理はないが、この時は彼は殺人者にはならなかった。戦争である。第一次大戦に召集されたおかげで、彼はしばらく殺人者にならずに済んだのだ。

 戦地で負傷したクリスティーは、帰国後にエセル・ウォディントンと結婚する。しかし、夫婦生活はままならなかった。彼は己れの不能を「戦地でガスにやられたため」としていたが、本当にそうであったかは不明である。
 結婚から1年後、クリスティーは郵便局での勤務中に封書から金を抜き取ったかどで9ケ月間服役する。その2年後には詐欺事件を起こして保護観察処分になる。1年後にはまたしても窃盗で9ケ月間服役する。愛想を尽かした妻エセルは実家に帰ってしまう。自棄を起こしたクリスティーは、今度は売春婦を暴行して6ケ月間服役し、シャバに戻るや否や自動車を盗んでトンボ帰り。
 本当にどうしようもない男である。
 しかし、エセルはどういうわけか、再び元の鞘に納まってしまう。そして、1938年、出所したクリスティーと共に問題のリリントンプレイス10番地に移り住むのである。



ジョン・クリスティーと妻のエセル

 やがて第二次大戦が始まった。クリスティーは戦時予備警察官に応募し、なんと採用されてしまう。こんな前科者を採用するのはどうかと思うが、元軍人というところが評価されたのだろう。クリスティーは案の定、権力を笠に傍若無人に振る舞い始める。そして、いよいよ最初の殺人に手を染めるのである。

 1943年8月、妻エセルが実家に帰っている間、クリスティーは自分の管轄で商売をしていた売春婦、ルース・フュアストをリリントンプレイス10番地に連れ込んだ。クリスティーは「彼女と性交した後に絞殺した」と供述しているが、おそらく嘘だろう。それでは殺す理由がない。
 これはあくまでも私の推理だが、彼女に不能をなじられたのではないだろうか?
 それでカッとなって絞殺した(以前に売春婦を殴って逮捕された時も、同じ状況だったと思われる)。そして、その後に屍姦した。この順番でないと説明がつかない。
 遺体は、一旦は床下に隠し、妻の隙を見て裏庭に埋めた。白骨として発掘された遺体がそれである。

 1943年の暮れに御役御免となったクリスティーは、近くの工場の事務職に就く。そこで2人目の犠牲者、ミュリエル・イーディと出会う。鼻カタルに悩んでいた彼女は「いい治療法がある」とのクリスティーの言葉を信用して、リリントンプレイス10番地を訪れたのである。1944年10月のことである。
 今回のクリスティーは用意周到だった。「治療用の吸引機」をわざわざ拵えていたのだ。耳鼻科にあるのと同じやつだが、2本の管の1つはガス管に繋がれていた。これを吸引して意識朦朧としたところを絞殺したのである(この事件の映画化『10番街の殺人』は、この殺人のシーンから始まる)
 彼女の遺体は、前回と同様に裏庭に埋められた。



クリスティーが蒐集していた陰毛

 1948年3月、問題のティモシー・エヴァンスとその妻がリリントンプレイス10番地に引っ越して来た。10月にはジュラルディンが生まれて夫婦仲は円満だったが、翌年の夏、妻ベリルが再び妊娠してからは険悪になって行った。
 エヴァンスは文盲だった。先天的な知的障害があったのだ。そのためにいい仕事に就くことが出来なかった。彼の少ない収入では2人の子供を養うことは不可能だ。事実、家賃も滞納していた。
 そんな夫婦の相談相手がクリスティーだったことが悲劇の始まりである。クリスティーはこの頃には「長家の古狸」として差配のような存在だった。「元警官」という肩書きも2人を信用させた。
 つまり、クリスティーとエヴァンスは落語で云うところの「ご隠居」と「与太郎」のような関係になっていたのである。「昔は医者を志しておってなあ」などというご隠居の言葉を信じた与太郎は堕胎手術を依頼した。しかし、愛する妻子を殺されて、遂には自らの命までも失う羽目になるのである(但し、クリスティーは娘の殺害は認めていない)

 1952年12月、クリスティーは妻のエセルに手をかける。供述によれば「関節炎に苦しむ妻を安楽死させた」のだそうだが、私はそうは思わない。彼女はエヴァンスの件についての真相を知っていた筈である。口封じのために殺されたとみるべきだろう。彼女の遺体は床下から発見された。
 妻を殺してからは、クリスティーは正気を失い始めた。1953年1月から3月にかけて3人も殺した。

 キャスリーン・マロニー
 リタ・ネルソン
 ヘクトリナ・マクレナン

 家賃を滞納し、経済的に逼迫していたクリスティーにとっては「殺し納め」的な意味もあったのだろう。そして3月21日、アパートの部屋を無断で又貸ししたかどで追い出される。
 恐ろしいのは、宿無しになってなお彼が獲物を探していたことである。指名手配中にカフェで知り合った女性に堕胎の斡旋を申し出ているのだ。この頃には完全な殺人鬼と化していたのである。

 ジョン・クリスティーは1953年7月15日に絞首刑に処された。54歳だった。
 一方、ティモシー・エヴァンスは1966年10月になってようやく恩赦された。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『猟奇連続殺人の系譜』コリン・ウィルソン著(青弓社)
『殺人コレクション(上)』コリン・ウィルソン著(青土社)
週刊マーダー・ケースブック12(ディアゴスティーニ)
『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)
『愛欲と殺人』マイク・ジェイムズ著(扶桑社)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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