カール・コッポリーノ
Dr. Carl Coppolino (アメリカ)



カール・コッポリーノ

 カール・コッポリーノは御覧の通りの二枚目だ。ロングアイランド医科大学在籍中に既に婚約者がいた。後に殺害されるカーメラ・ミュゼットである。彼は学費を彼女の父親に出してもらっていた。そして、1958年に卒業と同時に結婚し、ニュージャージー州レッドバンクの病院に麻酔専門医として勤め始めた。
 3年後の1961年、同病院の麻酔担当看護婦に「仕事から身を引け」という匿名の脅迫状が繰り返し送りつけられた。内偵の結果、犯人が割れた。コッポリーノだった。病院側はこのことを公にしない代わりに辞職を求めた。妻が資産家だった彼はこれに素直に従った。

 やがてコッポリーノ夫妻はウィリアム・ファーバー大佐と懇意になった。陸軍の退役軍人である。妻のマージョリは48歳という年齢の割には魅力的な女性だったが、ヘビースモーカーなのが玉に瑕だ。コッポリーノは彼女に催眠療法を施すうちに肉体関係を持つようになった。プー太郎であるにも拘わらず、2人でフロリダでバカンスを楽しむようになったというから怪しからん。

 ファーバー大佐は2人の関係を疑い始めたが、やがてポックリと逝ってしまう。後にマージョリが語ったところによれば、コッポリーノは彼女に催眠術を施して大佐を殺そうとした。彼女に注射器を手渡して、眠る大佐に射つように命じたのだ。針を刺したが躊躇したというから本当に催眠状態であったかは疑わしい。いずれにしても注入された毒薬は少量に留まり、この殺人は未遂に終わった。
 目覚めた大佐は気分が悪いと訴えた。早速コッポリーノが呼ばれたが、大佐は彼を一瞥するや「貴様なんぞに用はない。ここから出て行け」とがなり立てた。カッとしたコッポリーノは大佐の顔に枕を押しつけて窒息させた。死亡証明書を書いたのは彼である。死因は「心不全」とされていた。

 2年後、コッポリーノ夫妻はフロリダに移り住んだ。毎日がバカンス気分だが、金を出したのはは夫人の父親だ。コッポリーノは相変わらず毎日ブラブラして過ごしていた。
 やがてマージョリもコッポリーノを追いかけてフロリダの隣の家に引っ越して来た。そこで彼女は愕然とする。コッポリーノには既に別の女がいたのである。メアリー・ギブソンという有閑マダムだ。
 妻とその父親の資産のおかげで女遊びが出来ていたにもかかわらず、コッポリーノはカーメラに離婚を求めた。こんなクズとは別れてしまえばよかったのだが彼女は拒絶。数日後の1965年8月28日、午前6時にコッポリーノは地元の医師に電話した。
「至急来て頂けませんか。妻が心臓発作で亡くなりました」
 呼ばれた医師は不審に思った。心臓発作で急死するには若すぎるのだ。しかし、夫も医師だということで、その診断に従って死亡証明書を作成した。

 その2ケ月後、コッポリーノに振られたマージョリが警察に駆け込み、洗いざらいをぶちまけた。墓場から掘り起こされたカーメラからはサクシニルコリンという筋肉弛緩剤が検出された。麻酔専門医であるコッポリーノならば容易に手に入れることが出来る薬物だ。一方、ファーバー大佐の死因も窒息であることが明らかになった。

 コッポリーノの弁護はかのサム・シェパードの無罪を勝ち取ったリー・ベイリーが担当した。彼はマージョリが被告を懲らしめるために虚偽の告発を行ったのだと主張したが、カーメラに6万5千ドルの生命保険が掛けられていたことが明らかになると形勢は逆転。有罪が評決され、コッポリーノは終身刑に処された。
 なお、弁護人のベイリーは裁判後にマスコミを通じて検察側に罵声を浴びせたため、ニュージャージー州での弁護活動を1年間禁止されている。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『現代殺人百科』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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