ジョージ・ヘナード
George Hennard (アメリカ)



ジョージ・ヘナード

 1991年10月16日水曜日、午後12時35分。テキサス州キリーンの「ルビーズ・カフェテリア」は混雑していた。そこに突然、1台のピックアップ・トラックが突っ込んで来たのだから吃驚仰天。更に驚くべきことに、それは単なる事故ではなかった。運転手は客の皆殺しを企んでいたのだ。トラックから降りた彼の手にはグロック17セミオートマティックとルガーP89が握られていた。撥ねた男の頭に銃弾を撃ち込むと、周りの者に手当たり次第に銃撃し始めたのである。
「今日は報復の日だ!」
 男は叫んだ。
「こうなったのも、みんなこの町が悪いんだ!」
 彼が手を休めたのは弾を装填している時だけだった。生存者の一人は語る。
「彼は笑っていました。歯をむき出しにして、まるで作り笑いをしているかのようでした」
 まだ絶命していない犠牲者を見つけると、とどめの一撃を加えるほどに非情な男だった。その一方で、子供を標的にしない慈悲を見せた。4歳の娘を連れた母親を逃がしている。
 駆けつけた武装警官に包囲されても、彼は殺戮を止めなかった。2発の銃弾を受けるとようやくトイレに逃げ込み、そこで銃口を己れのこめかみにあてて引き金を引いた。
 死者24人(犯人を含む)、負傷者20人の大惨事だ。全てが35歳の元船員、ジョージ・ヘナードの仕業だった。

 さて、ここで思い出されるのが、1984年にマクドナルドを襲撃したジェイムス・ヒューバティである。本件と彼の事件は極めてよく似ている。共に混雑した飲食店を襲撃し、無差別に殺戮した。犠牲者の数もほぼ同じである。しかし、ヒューバティは8ケ月の乳児をはじめとして子供たちにも容赦しなかったのに対して、ヘナードは少女を逃がしている。この差は、私には大きいように思える。

 1956年10月15日に外科医の息子として生まれたヘナードは(ここで気づいた方もおられるかと思うが、彼が襲撃したのは誕生日の翌日である)、何不自由なく育ったお坊っちゃまだった。容貌も御覧の通りの二枚目で、筋骨も逞しく、ウジウジした大量殺人とは最もかけ離れた男に思える。ところが、親の離婚を機にその性格はねじれて行く。また、高圧的な母親と諍いが絶えなかった。母親を殺してやりたいとさえ知人に漏らしていたという。次第に粗野に振る舞うようになり、友人たちからも疎まれ始めた。そして、事件を起こした年の初めにマリファナを吸ったかどで船員としての資格を剥奪されている。
 つまり、世をはかなんで自殺を兼ねた大量殺人に打って出たわけだが、しかし、そうだとしても23人もの罪のない人々を道連れにする動機としては弱過ぎる。
 一方、ヒューバティの場合は、事態はもっと深刻だった。つまり、ヒューバティの動機が「絶望」だったのに対して、ヘナードのそれは「甘え」だったのではないだろうか? その差が怒りのボルテージの違いとなって現れて、子供たちへの態度の差となった。どうもそんな気がするのだ。


参考文献

『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)


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