アンリ・デジレ・ランドリュー
Henri Desire Landru (フランス)



アンリ・デジレ・ランドリュー


ランドリューと犠牲者たち

 チャールズ・チャップリンのブラック・コメディ『殺人狂時代』の原案者がオーソン・ウェルズだと知った時、なるほどと感心したものだ。愛すべき放浪紳士を恐るべき殺人鬼に仕立てるとは、如何にもイタズラ好きのウェルズらしいアイディアである。
 ところで、私は長いこと『殺人狂時代』はシャルル・ペローの『青髭』を翻案したものだと思っていた。ところが、実は別にモデルがいた。アンリ・デジレ・ランドリュー。この男がチャップリンが演じた小粋な殺人鬼、ムッシュ・ヴェルドウの原型である。

 ランドリューは1869年、パリに生まれた。両親はとにかく真面目で、嫡子である彼もその気質を受け継いでいた。20歳の時に従妹とデキて妊娠させると、真面目な彼は責任をとって結婚する。そして、妻子を養うために建築事務所を構えるのだが、仕事はまったくダメだこりゃ。このままでは一家6人が路頭に迷う。彼が詐欺に手を染めるようになったのはこの頃からである。
 1902年から1914年にかけて、彼はムショとシャバを繰り返し行き来する。ムショで更に悪い知恵をつけ、新たな詐欺に手を染めたのだ。我が子を恥じた父親は自殺。これを機に、彼は小悪党から大悪党へと脱皮する。
「お父さん、見ていて下さい。今度こそは捕まらずに家族をしあわせにしてみせます」
 かくして「青髭ランドリュー」が誕生したのである。

 彼の最後の服役は結婚詐欺によるものだった。どうして捕まったのか? 証拠を残したからだ。ならば、残さなければよい。殺してしまえばいいのだ。
 その犯行は他の「青髭」型殺人者、例えばベル・ガネスベラ・キスとまったく同じで、新聞に広告を載せることから始まった。

「当方、子供が二人いる男やもめ。十分な収入があり、愛情豊かで真面目、社交界に出入りあり。結婚を前提に未亡人と付き合いたし」

 カザノヴァとは程遠い「ハゲ・チビ・ヒゲ」のランドリューがモテモテだったのは、ひとえに第1次大戦のおかげである。多くの中年女性が戦争で伴侶を失っていたのだ。そんな彼女たちは安定した将来を約束してくれる(筈の)ランドリューのような男を求めたのである。



遺体を焼却したストーブ

 1915年 4月 ?日  ジャンヌ・クーシェ
              アンドレ・クーシェ(ジャンヌの息子)
 1915年 6月25日  テレーズ・ラポルド=リネ
 1915年 8月 3日  マリー・ギラン

 ギラン夫人を手掛けた後、ランドリューは本格的な「仕事場」をパリ郊外のガンベに借りた。後に「青髭城」として観光名所となるエルミタージュ荘は、隣家から300mも離れており、彼が「仕事」をするには打ってつけだ。併せて大型のストーブと大量の石炭も購入。もちろん遺体を焼却するためである。

 1916年12月 ?日  エオン夫人
 1916年12月27日  アンナ・コロン
 1917年 4月12日  アンドレ・バブレイ
 1917年 9月 1日  セレスティン・ビュイッソン
 1917年11月26日  ルイーズ・ジョウム
 1918年 4月 5日  アン・マリー・パスカル
 1919年 1月13日  マリア・テレーズ・マルシャディエ

 一方、ビュイッソン夫人の妹は、姉が婚約者とガンベを訪問して以来、音沙汰がないことを心配していた。町長に問い合わせたところ、同じような問い合わせが他にもあるとのことである。いったいどういうことだろうと考えていると、見覚えのある「ハゲ・チビ・ヒゲ」が他の女と腕を組み、パリの鋪道を歩いているのを目撃した。
「あっ、あいつだ!」
 彼女はその足でパリ市警に駆け込んだ。
 彼女の訴えに耳を傾け、殺人の疑いありと判断したベラン警部は「ハゲ・チビ・ヒゲ」のマンションへと踏み込んだ。男は裸の女とベッドの中にいる。ドギマギした警部と部下は一旦は引き下がり、そして顔を見合わせた。
 どうしてこんな男がモテるんだ?
 大きなはてなマークが警部の頭上に浮かんでいる傍らで、男はシャツを着ながら平然と鼻歌など口ずさんでいやがる。
「さらば〜我が愛しき食卓よ〜ラララ〜」
 そして、女に長い長いくちづけをした。これを目撃した警部は、彼が何らかの犯罪に関与していることを確信した。あまりにも「逮捕慣れ」していたのである。

 逮捕されたランドリューは車でパリ市警まで護送された。途中、ベラン警部は彼の様子がおかしいことに気づいた。どうやら上着のポケットにある何かを車外に捨ててしまいたいらしい。警部は彼の手首を押さえつけ、黒い手帳を押収した。
「どうしてこれを捨てたいのかね?」
 警部はそれをペラペラとめくると顔面蒼白になった。それは総勢283名にも及ぶ女性の詳細なデータベースだった。警部は予想以上の大物を釣り上げてしまったのだ。
 283名を調べ上げると行方不明者が10名いた。ランドリューを問いつめると全面的に黙秘した。彼は死体さえ見つからなければ有罪にならないと信じていたのだ。この辺りはジョン・ジョージ・ヘイグとよく似ている。一切を知らぬ存ぜぬで押し通した。「青髭城」も捜索されたが手掛かりはなし。ストーブの中から若干の骨片が発見されたが、人間のものとは断定出来なった。



クロード・シャブロル監督『ランドリュー』

 物的証拠がないままにランドリューの裁判は始まった。フランス政府は新聞社にこの裁判を大々的に報じるべきことを奨励した。それはフランスにとって好ましからざる方向に向いつつある講和条約会議から国民の眼を逸らすためであった。国民にとっても4年も続いた大戦の後だったので、またとない気分転換となった。そんな訳で「青髭裁判」は国民的な行事となった。今話題の「青髭」を一目見ようと何千という傍聴希望者が裁判所に殺到した。

 すべてが状況証拠だった。遺体はとうとう一つも発見されなかった。「青髭城」の煙突からもうもうと出ずる黒煙の悪臭に悩まされたとのご近所さんの証言などランドリューは何処吹く風で、人ごとのように平然としていた。被害者のコロン夫人が15歳もサバを読んでいたことを指摘されると、
「女は生まれた時からではなく、破瓜の時から歳を数えるものです」
 などと粋なセリフを吐きやがり、場内を大いに沸せた。
 また、ある時などは、傍聴に来ていた御婦人が座席がなくて困っていると、ランドリューは立ち上がり、丁重な物腰で己れの被告席を勧めた。

 どうやらこの辺りにこの男がモテモテの原因があるようだ。とにかくキザなのだ。彼はマトモな男なら恥ずかしくてとても出来ないような事も平然とやってのけた。マトモな女ならば彼を相手にしないだろう。ところが、ピントのズレた女ならばイチコロになる。彼はそういう女をピンポイントで攻撃していたのだ。
 彼の法廷でのパフォーマンスが受けて、全国のピントのズレた女性たちからファンレターが届き、結婚の申し込みまで殺到したというからなんだかなあ。その年の総選挙の時にも4千人ものお調子者が投票用紙に「ランドリュー」と書き込んだ。今や国民的な人気者だ。彼はますます傲慢になっていった。
 しかし、陪審員はマトモだった。法廷を茶化すかのような彼の態度に心証を悪くしていた。人ごとのように沈黙を貫く姿勢には怒りさえ覚えた。そして、青髭に死刑を宣告したのである。

 ランドリューは最後まで沈黙を貫き通し、堂々と断頭台へと向かった。神父に対してはこのように云い放ったというから痛快だ。
「私のことよりも、あなたの魂を救うことを考えなさい」

 ランドリューは弁護人のナヴィエール・デュ・トゥルイユに感謝の意を込めて一枚の絵を送った。彼が処刑されて40年もの月日が流れて、トゥルイユの娘が絵の裏側にこんな言葉を発見した。
「青髭の場合は壁の後ろで何かが起きた。私の場合はストーブの中で何かが焼かれた」
 1967年になって一般に公開されたこの言葉は、彼の唯一の自白であると看做されている。


参考文献

『殺人百科』コリン・ウィルソン(彌生書房)
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『死体処理法』ブライアン・レーン著(二見書房)
『世界犯罪百科全書』オリヴァー・サイリャックス著(原書房)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)


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